多様性を叫ぶのに不倫を許さない日本、妻の前で愛人遍歴を語った勝新太郎のように夫婦のあり方は多様でいいのでは?
■ 若くてアホなキャバ嬢と浮気されても大して傷つかない人 鈴木:いろんな人に話を聞いてみると、「自分の夫や恋人がこういう人と浮気するのは嫌」という浮気相手の属性が人によって結構違うのです。自分がコンプレックスを抱えている部分を満たしている人や、自分があきらめたものを持っている人は特に嫌だったりする。 たとえば、自分と同い年の女性と浮気されてもそんなに傷つかないけれど、20歳下の女の子と浮気されると、加齢によって自分の女としての魅力がなくなったと実感させられて、すごく悲しいと感じる人もいる。 一方で、若くてアホなキャバ嬢と浮気されても大して傷つかないけれど、医者のようなエリート夫が、同じ職場の女医さんと浮気したら、彼が自分と同じような知的な女性を求めていて、平凡な自分は、彼の悩みや興味深い話を共有できないのではないかと感じて、すごく傷つくというパターンもある。 つまり、相手が若くてかわいいと嫌な人もいれば、バリキャリ系だと嫌だという人もいて、この部分は人それぞれいろいろなパターンがあるようです。そして、妻に不倫がバレても何とかなっている男性は、本当に妻が嫌がる相手とは不倫していない。 ──無意識に何かの調整が働いているのでしょうか。 鈴木:どうでしょうね。でも、相手が一番傷つくことを避けるのは思いやりですよね。 ──不倫が不倫ではなくなり、結婚に向かう(夫や妻と別れて不倫相手と結婚する)場合について、様々な角度から言及されています。どのような場合に、そういう事態が発生するのでしょうか?
■ 「日本は、結婚して母になると、性的なものから排除される」 鈴木:それは既婚者側の結婚観に左右されると思います。結婚は恋愛感情がなくなろうが、他にどんなに好きな人がいようが、壊してはならない制度として盤石なもので、「家庭は恋愛感情とは別に存続していくものだ」と思っている人の場合、長い関係の愛人がいて、家庭はずっと続いていく。 一方で、「家庭の中に恋愛感情がなくなり、外にそれが向かうのであれば、家庭は解消したほうが失礼にあたらない」という考え方をする人もいる。アメリカは割とそのスタイルですよね。だから、バツ2、バツ3なんて平気でいて、全く責められないけれど、浮気をする人は責められる。 「恋愛感情がなくなって、セックスレスになった人間関係を空っぽのまま維持しておくのは無意味だ」という意識を持つ人が多い印象を受けます。 日本の場合は、恋愛感情なんてなくなるのが普通で、磯野家のフネさんと波平さんみたいに存続していく家庭こそが平和という感覚があります。フネさんと波平さんが家でやりまくっているよりは、波平さんが外でホステスを抱いているほうがイメージしやすい。 あれは今の時代設定ではないけれど、家庭に仕事とセックスを持ち込まないという文化が日本にはあったのだと思います。フランス映画なんて、孫、母、祖母、三世代みんな旺盛にそれぞれの性生活に浸っているという描写が見られます。 日本は、結婚して母になると、性的なものから排除される。 ──そちらの多様性にはいかないですよね。 鈴木:いってないですね。だからこそ「女性の不倫は特にあってはならないもの」のように語られて、叩かれるのだと思います。家庭に入ったのに、恋愛感情を持っている肉体であることが許しがたいのかもしれません。 鈴木涼美 作家 1983年東京都生まれ。慶應大環境情報学部在学中にAVデビュー。その後はキャバクラなどに勤務しながら東大大学院社会情報学修士課程修了。修士論文は後に『「AV女優」の社会学』として書籍化。日本経済新聞社記者を経てフリーの文筆業に。書評・映画評から恋愛エッセイまで幅広く執筆。著書に『身体を売ったらサヨウナラ』『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』『ニッポンのおじさん』『JJとその時代』、『往復書簡限界から始まる』(上野千鶴子氏との共著)など。 長野光(ながの・ひかる) ビデオジャーナリスト 高校卒業後に渡米、米ラトガーズ大学卒業(専攻は美術)。芸術家のアシスタント、テレビ番組制作会社、日経BPニューヨーク支局記者、市場調査会社などを経て独立。JBpressの動画シリーズ「Straight Talk」リポーター。YouTubeチャンネル「著者が語る」を運営し、本の著者にインタビューしている。
長野 光