多様性を叫ぶのに不倫を許さない日本、妻の前で愛人遍歴を語った勝新太郎のように夫婦のあり方は多様でいいのでは?
■ 合理主義の中でかき消される自分の体内で処理しきれない過剰 ──金原ひとみさんも、かつては憧れの対象としての逸脱を描いていた作家という印象でしたが、今ではこういう文化も残すべきという対象になってきた印象もあります。 鈴木:金原さんは私と同い年ですけれど、確かに彼女がデビューした頃は、破滅的な人って憧れの対象でしたよね。文学の世界では今でもそういうところはなくはないと思いますが、確かに最近では、そういう人が登場した際の受け取られ方は変わってきている気もします。 むしろ、ひろゆきさんのような「そんなの無駄じゃないですか」という感覚が今はウケる。伝統を笑うという意味で不良性がなくはないけれど、暴走族や恋愛至上主義、不倫のような非合理的なことを無駄だと切り捨てる考え方を若者は支持しています。 「恋愛なんて時間の無駄」「勝率が低いのにやるのは無駄」「子どもは体外受精で作ればいい」といった合理主義ぶった考え方は、大学生の男の子などにも見られます。たまに大学に招かれて教えに行くと、馬鹿でも悪い子でもないけれど、冷笑的な学生に結構出会います。 合理性から離れたところにある快楽や死や痛みなどを、ひたすら掘り下げて書いていく。そういうことが、実感として自分の憧れになり得ない。「理由なんてないけれど、ただ暴走したい」という、暴走族的な感覚が馬鹿にされる風潮がある。でも、若さってそういうものじゃないかなと私は思うけれど。 ファッションでも、昔は意味のないものを身に付ける人がたくさんいましたよね。今は女の子たちのファッションは洗練されている。ユニクロのようなどこにでも着ていける服は理にかなっているし、見ていてヘンじゃないけれど、ヘンなことを理由もなくしたがる、自分の体内で処理しきれない過剰のようなものって、どこに向かっているのかな。 ──本書では、自分の配偶者がどんな人と不倫をするかという浮気相手の属性に、いかに浮気される側がこだわるかについても書かれていました。