考察『光る君へ』21話 中宮(高畑充希)のいる世界の美しさを謳いあげた『枕草子』は清少納言(ファーストサマーウイカ)の「光る君へ」
高階貴子の教養
伊周護送の場面では『栄花物語』などにある、貴子は同行を願ったが許されなかったという逸話がドラマチックに描かれた。 母君の同行はまかりならぬ。車からお出しせよ、伊周は騎馬にて下向されるべしと厳しく告げる実資だが、泣き叫ぶ母と息子の姿に涙を堪えているように見える。こうしたよい芝居は、これまで文字を読むだけで想像していた、伊周配流に立ち会った人々の心情を現代に蘇らせる。 太宰府に送られた藤原伊周は道中で体調を崩し、明石に留め置かれた。そのとき高階貴子が詠んだ歌が『詞花和歌集』にある。 夜の鶴みやこの内にこめられて子をこひつつもなき明かすかな (夜の鶴が籠に閉じ込められたように、私は都から出ることを許されず、子を慕いながら泣き明かしています) これは白楽天(白居易)の詩『五弦弾』の 「夜鶴憶子籠中鳴(やかく、子をおもひて、籠のうちに鳴く)」 この一節の本歌取りである。清少納言や紫式部と同じく学者の父を持ち、漢詩に造詣が深い高階貴子ならではだ。 中関白家は道隆(井浦新)の死後、雪崩のような勢いで没落した。しかし全てが奪われても、培った教養は誰にも侵されない。和歌は母としての嘆きだけでなく、彼女の人間としての誇りを今に伝える。
「私はもうよい。もうよいのだ」
二条邸炎上は史実の通りである。出火原因はわからないが、伊周についてゆくという母の言葉を聞いたときに滲んだ微かな絶望の表情と、燃え盛る屋敷内で静かに座っている姿を見ると、定子が覚悟の上で火を放ったかのようだ。 家のため、一族の栄華のため。父兄から浴びた呪いのような「皇子を産め」の行き着いた先は、周囲に望まれた帝の子がその身に宿っても「私はもうよい。もうよいのだ」という、希死念慮だった。 自分の命よりも大切な人から、こんな絶望の言葉を聞いたら、いったい何ができるだろう。 清少納言(ファーストサマーウイカ)にしかできないことがあると、視聴者にはわかる。
倫子の豪速球
一条帝の次の后探しが始まった場面、政敵を上手く片づけ、この世に怖いものなしの詮子(吉田羊)の勢いが止まらない。が、倫子(黒木華)が、 「あの呪詛は不思議なことでございましたね」 「殿と女院さまの御父上は仮病がお得意だったとか」 ストレート剛速球を投げてきた。咄嗟に受け止めきれない詮子と道長。 倫子がなんの脈絡もなく言ったわけではない。道長と詮子が一条帝の后候補にと話している「右大臣・顕光(宮川一朗太)の姫、元子は村上天皇の御孫」。元子は藤原であるが、母が村上天皇の内親王だ。 帝のお血筋の姫君を「ソレにしなさい!」「帝の子を産むのにうってつけだわ」は、雑な扱いすぎる。 倫子の父・源雅信(益岡徹)は宇多天皇の孫、倫子は帝の曾孫にあたる。帝の血を引く源氏一門の倫子としては「藤原出身の女院さま。いいかげんになさいませね?」と怒りの釘刺しをしておきたくもなるだろう。 20話の呪符発見のときの「ここは私の屋敷でございますゆえ」と併せて、企みはすべて見抜いておりますよ。あなた様がお住まいなのは私の屋敷だということ、お忘れなきよう……という意味もこめ、ぐっさりと見事な刺しっぷりであった。 詮子も道長も、おおらかなところがよく似た姉弟であるが、倫子の地雷を踏まないように、もう少し注意してほしい。観ているこちらの心臓に悪いので。