考察『光る君へ』21話 中宮(高畑充希)のいる世界の美しさを謳いあげた『枕草子』は清少納言(ファーストサマーウイカ)の「光る君へ」
紫式部と清少納言が協力
中宮様になにかしてさしあげたいというききょうが、まひろに相談をする。 ここでききょうが言う「伊周が帝と中宮に高価な紙を献上した、帝はこれに『史記』をお書きになる。中宮から、私は何を書こうかしらと清少納言に御下問があり……その紙を中宮から清少納言に賜った」というエピソードは『枕草子』の跋文(ばつぶん/あとがき)にある。 中宮の御下問に、清少納言は「枕にこそは侍らめ」と申し上げた。この「枕にこそは……」の意味については、様々な説がある。このドラマでは「枕詞を書かれたらいかがでしょうと申し上げました」説を取った。 まひろ「『史記(しき)』がしきもの(敷物)だから、枕ですか?」 「司馬遷の『史記(しき)』だから、ききょうさまは春夏秋冬の『四季(しき)』をお書きになれば」 ききょうから聞いた話の流れを一瞬で理解し、アイデアを出す。まひろとききょうが同じくらい教養高くないと成り立たない。同時に、まひろも宮中に上がれば、ききょうと同じく機知に富んだ会話ができるのだという場面でもある。 紫式部と清少納言がなんでも話せる間柄で、『枕草子』誕生のきっかけが紫式部との会話であるという、フィクションの設定が嬉しい。 ふたりは1000年、ライバル関係として面白おかしく目されてきた。それが手を取り合い、政治の道具として扱われ傷ついた女性、定子のために協力して作品を生み出そうとしている。このように描いてくれた脚本に胸が熱くなる。 ただそうなると、レビュー14回でも触れたが『紫式部日記』のいわゆる「三才女批評」……清少納言の評価についても、今後ドラマではどうなるのか気になるところだ。
この世界は美しい
まひろの言葉を受けて清少納言は、中宮様のおんために全身全霊をこめて、四季の美しさを謳いあげた。 清少納言が筆をとり、書きつける。御簾越しに定子の枕元にそっと置く。白い紙に流れるような文字……読み上げる台詞も、ナレーションもない。でも、私達にはすぐわかるのだ。書かれているのは「春はあけぼの……」だと。 優しく穏やかに、閉ざされた心をほどいてゆくような音楽。 届けられるのは一枚ずつだ。次を読む楽しみ──訪れる未来が待ち遠しくなるから。今日を生きる力さえ失った人間にとって、それはどれほど大きな支えとなることか。 どこにいようと、時は移ろい季節はめぐり来る。絶望の底にその身を横たえていても目を開ければ、澄んだ空気の向こうには染まる雲がたなびき、蛍が舞っているのが見える。耳を澄ませば虫が歌い、秋風の音が涼やかに響く。 自然が織りなす趣深さを思い出せば、冬の早朝に立ち働く人々にも意識が向くだろう。 あなたさまがいてくださる、この世界は美しい。そして私がここにおります。 世の中に溢れる美しいもの、楽しいこと。中宮様がお元気になられたら、思い出話もいたしましょう。綴ってご覧にいれます……。 高畑充希とファーストサマーウイカの演技がとても繊細だった。 書いている間の清少納言は微笑みを浮かべて、中宮様に語りかけるように。清少納言の気配を背中に感じた定子の、眠りに落ちる子どものような安らかな表情。 中宮・定子が自分の書いたものを読んでいる姿を御簾越しに目にした清少納言が、立ったまま声を押し殺して泣く姿。こちらも共に泣いた。 『枕草子』がない世界を想像してみる。定子は、皇后が既にいるのに帝の后として「中宮」の称号を手に入れた女。他の女御の入内を許さなかった中宮。父の死後はあっという間に凋落した……関白・道隆の専横の、そして中関白家没落の象徴として語られただろう。 誰もが知る「春はあけぼの」。 『枕草子』の中で、定子は指先まで美しい、聡明で教養深くユーモアを解する魅力的な中宮として、1000年後も生きている。 光り輝く女性、中宮様へ捧げる……枕草子は、清少納言の『光る君へ』だ。 大河ドラマ史に、またひとつ屈指の名場面が加わった。