森保Jが抱いた違和感…なぜ日韓ライバル対決は3-0の一方的スコアで終わったのか
日本サッカー協会が手配したチャーター便で、MF守田英正(サンタ・クララ)とともに羽田空港へ到着したのが22日の深夜。PCR検査で3日続けて陰性が証明されなければ韓国戦のピッチには立てない防疫措置が講じられたなかで、ぎりぎりのタイミングで日本へ帰国した。 ただ、泊まっているホテルのフロアだけでなく、食事会場や練習時のロッカールームも国内組と別々になる規制のもとで、なかなかコミュニケーションが取れない。特に今回は8人の国内組が代表初招集だった。韓国戦前日のオンライン対応では、自身の発言がネット上で記事になって、一人で部屋にいる時間が多くなるチームメイトの目に留まってほしいという思いを込めて言葉を紡いだ。 「韓国戦は絶対に勝たなければいけない試合だと。こう言うといまの時代にそぐわないかもしれないけど、足が折れても、身体が壊れても韓国にはぶつかっていかなければいけない、勝たなければいけないという言葉を聞かされたぎりぎりの世代だと思っています。なので、僕よりも下の世代にひとつ伝えたいのは、キャリアのなかで一番大事になる試合、ということを意識してほしいんです」 32歳の吉田はフィールドプレーヤーでは今回の代表で最年長になり、日本と韓国が激しい火花を散らした、フランスワールドカップ出場をかけたアジア最終予選をテレビ越しに生で見ている。ワールドカップ予選での対戦が途絶えて久しいからこそ、今回の国際親善試合を逆にチャンスととらえた。 「10年という時間が空いてしまったがゆえに、日韓戦で何が重要なのか、という部分を伝えられていないのではないか、という危惧が若干ですけど僕のなかにあったので」 たとえ煙たがられても、絶対に負けてはいけない一戦だと言い続けた。鎌田は「ヨーロッパ組のみんなが、身体が重たく感じていた」と明かしたが、いざ試合になるとスイッチが入ったのも、単なる国際親善試合ではないと頭で理解し、時差ぼけに悩まされた身体を目覚めさせたからに他ならない。 吉田はさらに、27歳にして初招集された山根にも「Jリーグでいつもプレーしている1.5倍ぐらいの力でいかないとダメだ」と声をかけた。思い切りのいいゴールで日本に主導権を手繰り寄せた山根は、試合後に「一発目からそういうパワーでいきました」と声を弾ませている。 「ホテルの部屋でも一人の時間がすごく多いので、いろいろと考えることがいい準備になりました」 チームを率いる森保一監督も、現役時代は韓国戦を3度戦っている。ワールドカップ出場歴で先を走っていた韓国に「追いつき、追い越せ」が合言葉だった1990年代の中ごろまでの話だ。 昨秋のメキシコ戦で突きつけられた悔しさと、吉田を介して過去からいま現在へと伝授された、最も身近なライバルである韓国への対抗心が融合され、手繰り寄せた会心の勝利だった。 (文責・藤江直人/スポーツライター)