92歳の弁護士・手塚正枝さん「朝ドラモデル・三淵嘉子さんの後輩として法曹界に。4人の子を産み家事育児をしながら、細く長く弁護士を67年間」
◆人生はいつも行き当たりばったり 家事育児、「親の会」の仕事、弁護士業務に3分の1ずつの割合で力を注いだ時期は長かったですね。そんな生活でも国選弁護は必ず引き受けていました。 71年からは家庭裁判所の参与員を、3年後からは調停委員にもなり、70歳の定年まで務めました。 参与員は家庭裁判所で家事審判を行う際、手続きに立ち会ったり、意見を述べたりする人。紛争の解決策を考えるため、当事者の言い分や気持ちを十分に聞きながら話し合いを進めていくのが調停委員です。 夫が2016年に亡くなってからは、次男と私で弁護士事務所を引き継ぐことに。裁判所に出席するような長期にわたる仕事はさすがにもうできませんが、法律に関するこまごまとした相談を受ける仕事は続けています。 18年前に引き受けた後見人の仕事も引き続き行っているところです。その方には障害があり、ヘルパーの派遣や車椅子の支給等を、障害者福祉により無料で受けていました。しかし65歳を過ぎて介護保険サービスに切り替わった途端、すべて有料となり、障害年金では賄いきれなくなってしまったんですね。 月に1度ケアマネジャー、ヘルパー、ときには通所施設の指導員とご本人とでいろいろ話をするのですが、ご本人には赤字であることがなかなか理解されません。また将来の生活についてご本人の希望と現実のギャップが大きく、明るい見通しを立てることができないのも悩みの種です。 弁護士を67年間やってきましたが、感謝されるばかりではありません。恨まれることもたくさんあります。人間同士の間に入る仕事ですから、一所懸命になりすぎてもうまくいかない。何年続けても簡単な仕事ではありませんね。
こんなふうに月に平均3、4回ほど事務所に出ます。長年、資料の入った重たいバッグを片方の肩にかけて歩いたせいで背骨と椎間板を痛め、杖とコルセットが相棒に。でも電車で通勤し、事務所のあるビルにエレベーターがなくても2階まで上り下りできています。 これはたぶん、「かもめ」という女性ばかりの自主水泳グループで、50年ほど泳ぎ続けてきたからでしょうね。素晴らしいコーチにはボランティアで指導していただいていることもあり参加費は格安なんですけれど、かつてお世話になった大先輩のコーチがいま私たちと一緒に習う側にいたりして、面白いですよ。 最盛期は100名以上が在籍していたのですが、徐々にメンバーが減ってきているので、これをお読みになった東京・高島平がお近くの方はぜひ。(笑) 思い返せば、私の人生はいつも行き当たりばったり。先を見据えてプランを真剣に考えたこともなく、目の前に起きたことを、どうにか乗り越えてきただけなのです。 母は、友人の大切さを常々口にしていて、物のない時代でも私や弟の友だちをもてなし、良い話し相手になってくれたものでした。私が東京に出てからも、友だちは私の母のところへ遊びに行ったほどです。 ともに司法研究所に入所した第9期は女性が9名と、それまで多くて3名だったのに比べると画期的に多く、2名が裁判官、私を含めた7名が弁護士になりました。 同期の1人が『私は主婦弁護士』という本を出したときはみんなで集まってお祝いしたことなどを思い出します。そうして多くの喜びや悲しみを同期で分かち合ってきました。いま元気なのは2人だけとなり、寂しい限りです。 私は、「お医者様は体の困りごとを、弁護士は心の困りごとを治す」という母の言葉を頼りに仕事を続けてきました。結果的に、かつて目指した教師よりも長く現役で働くことができているのですから、人生は面白いものです。 両親の導きや多くの素晴らしい先生、よい仲間や友人に恵まれて、いまの人生がある。いつも感謝しながら日々を過ごしています。 (構成=山田真理、撮影=宮崎貢司)
手塚正枝
【関連記事】
- 92歳の弁護士、手塚正枝さん「朝ドラモデル・三淵嘉子先生は、チャーミングな人だった。親孝行したくてなった弁護士を、細く長く続けて」
- 『虎に翼』寅子モデル・嘉子の再婚相手は連れ子4人の裁判官「三淵乾太郎」。嘉子が4人の子と<親子の関係>を作るまでにはかなりの時間がかかり…
- 息子の面倒を弟の妻に見てもらいながら<女性法曹のパイオニア>として飛躍した『虎に翼』モデル・嘉子。ただし特段「女性の問題」に熱心だったわけではなく…
- 『光る君へ』紫式部が<彰子サロン>に就職!そこで出来た美人で優秀な親友「宰相の君」の父親はまさかの…家をあてにできなかった女性貴族たちの奮闘
- 佐藤愛子の書斎拝見、上野の双子パンダひとり立ちへ、ラクに老年期を過ごすための7つのヒント【週間人気記事 BEST5】