「ママは安楽死したいの?」――スイスで生涯を終えた母 夫と娘2人の1年 #ザ・ノンフィクション #ydocs
命を巡って夫婦げんか…ママに本音を言えなかった12歳の娘の葛藤
脳が冒されると、すぐに体に影響が出始めた。左半分が見えなくなるほど視界が狭まった。物にぶつかることが増え、得意の料理もできなくなっていった。 何より、認知機能に大きく影響する可能性のある脳転移は、マユミさんにとって耐えられないものだった。 病院からの帰路、マコトさんが運転する車中で、マユミさんが切り出した。 「安楽死をしたいと思っている」 すでに安楽死をサポートするスイスの団体とも連絡を取っており、実行の日まで1カ月もなかった。マコトさんにしてみれば、すぐに受け入れられる話ではない。 なぜ今なのか? まだ頑張れるのではないか? 他に手段はないのか? 疑問だらけのマコトさんは、妻を止めようと必死だった。それでも、マユミさんの意思は固かった。 マユミさんが安楽死を口にしたのは、それが初めてではなかった。 2022年には「もしものために」と、診断書などの書類を英語で揃え、医師の審査を経て、スイスの団体から「安楽死する許可」を得ていた。その事実はマコトさんも承知していた。 「そういう考えは起こさずに、なんとか頑張ってみようよ」と励まし、その度にマユミさんもなんとか耐えてきた。だが、この時は違った。 頭皮に転移したがんは、日に日に肥大化していくのが目に見えて分かった。 「このペースで脳ががんでパンパンになっていくのは耐えられない」 不幸はさらに重なる。脳の放射線治療をするには、患部に確実に照射するため頭を固定しなければならない。マユミさんの頭皮のできものは、もはや固定できないほど大きくなっていた。 スイスへの飛行機に乗ろうにも、大きくなった脳の腫瘍が気圧変化の影響を受ける可能性が出てきた。 もう時間がなかった。 「生きられるなら私だって生きたい。子供たちの成長も見届けたい。それでも、認知機能を奪われて、自分が自分じゃなくなる前に、みんなとお別れをしたい。私はもう、覚悟を決めています」 けんか腰の話し合いになった。ただ、苦しむ妻を見てきたマコトさんは、あらゆる葛藤を経た上での決断を覆すのは「申し訳ない」と感じたという。 妻の決断を受け入れた。