豊かさの「世界線」 物質的な指標は過去のものに 個人と共同体が両立する幸せの定義とは
「今、一瞬一瞬を生きていると感じられる」 釈迦如来と弥勒仏、阿弥陀如来の三世仏をまつる古刹(こさつ)、永平寺(福井県永平寺町)。800年近い歴史を持つ曹洞宗の大本山から6キロほど東にある山あいの土地が、芳沢郁哉(31)にとっての「楽土」となった。 【比べる】東京23区の新築マンション平均価格の推移と東京都の平均年収の推移 住まいは築140年を超えた茅葺(かやぶき)屋根の古民家。時間をかけて修繕し、田舎暮らしができる農家民宿に生まれ変わった。 永平寺町からそう遠くない県央の鯖江市出身。大学卒業後、都会暮らしにあこがれて上京し、旅行会社に就職した。 始発で出勤し、午後9時まで接客。資料作りや予約業務をこなし、終電で帰宅。同じ風景、変わらない日常。時間に追われ、食事はファストフードばかり。「ただただ効率を求めた生活だった」 成長を求めて、日本一周の旅に出た。旅路で訪れた古民家宿で働いていた有希(ゆうき)(28)と恋に落ち、3年半前に2人で永平寺町に移住。翌年、結婚した。 茅葺の古民家にはもともと、祖母(90)が暮らしていた。「この家を守りたい」。手作業でリフォームに乗り出し、2年かけてやり遂げた。 田で米を、畑で20種類ほどの野菜を育てている。鶏舎には35羽のニワトリがいて、卵を産む。くくりわなを作り、鹿も捕らえる。夜には手作りした五右衛門風呂で汗を流す。 ■当たり前ではない「ありきたりな幸福」 高級住宅に住み、ブランドもののファッションに身を包み、レストランで美食を楽しむ。購買力が幸せの指標として疑われなかった時代が、かつてはあった。ただ、バブル崩壊から「失われた30年」を経た今、それを望んでも得られない現状が立ちふさがっている。 昨年11月に発売された東京23区の新築マンションの平均価格は1億889万円。厚生労働省の賃金構造基本統計調査を基に試算すると、令和5年の平均年収は、全国トップの東京都でも442万円。一般的な勤め人では、都心にマイホームを持つことは難しい。 結婚し子供を育て、還暦で定年退職し、年金を受け取り老後を過ごす。かつての「ありきたりな幸福」は、賃金は上がらず物価が上昇する現代では、決して当たり前のものではない。