「学者たちも認めない?」”異例”の「学者枠」…最高裁判事任命の事例が示す「都合のいい人事」とは
「裁判官」という言葉からどんなイメージを思い浮かべるだろうか? ごく普通の市民であれば、少し冷たいけれども公正、中立、誠実で、優秀な人々を想起し、またそのような裁判官によって行われる裁判についても、信頼できると考えているのではないだろうか。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 残念ながら、日本の裁判官、少なくともその多数派はそのような人々ではない。彼らの関心は、端的にいえば「事件処理」に尽きている。とにかく、早く、そつなく、事件を「処理」しさえすればそれでよい。庶民のどうでもいいような紛争などは淡々と処理するに越したことはなく、多少の冤罪事件など特に気にしない。それよりも権力や政治家、大企業等の意向に沿った秩序維持、社会防衛のほうが大切なのだ。 裁判官を33年間務め、多数の著書をもつ大学教授として法学の権威でもある瀬木氏が初めて社会に衝撃を与えた名著『絶望の裁判所』 (講談社現代新書)から、「民を愚かに保ち続け、支配し続ける」ことに固執する日本の裁判所の恐ろしい実態をお届けしていこう。 『絶望の裁判所』 連載第25回 『「前代未聞であり、言語道断である」…「最高裁長官」の主導による「大規模な情実人事」が下級審裁判官たちに与えた悪影響』より続く
学者たちも認めない「最高裁判事」
前回、前々回では竹崎長官の就任にまつわる事情に触れたので、これに関連して、現在の裁判所における人事のあり方の問題点を示す一つの典型的な事例という意味で、竹崎長官の時代になってから行われたある最高裁判事人事についても記しておきたい。 最高裁判事の出身母体はおおむね固定しており、近年は、裁判官6名、弁護士4名、検察官2名、行政官僚2名(うち1名は外交官が多い)、法学者1名となっている。 さて、竹崎長官の時代になってから、最高裁判事のいわゆる「学者枠」に、元裁判官の女性学者が任命された。しかし、この人事については、学界から批判や戸惑いの声が数多くあがっており、むしろ、優秀な学者ほど強い言葉で批判を口にすることが多かった。たとえば、「そもそも私は彼女の名前すら知らず、学者とは思っていない」、「現在の最高裁に事実上『学者枠』は存在しない」、「彼女は、自分の業績についてよく考え、辞退すべきではなかったかと考える」などきわめて厳しいものが多く、また、肯定的な評価は、女性学者をも含め、少なくとも私の聞いた限り、皆無であった。 要するに、批判の要旨は、「従来、学者出身の最高裁判事といえば、まずは例外なく、一級の業績を積み重ねてきた学界の重鎮であった。そのことに鑑みると、この方の学者としての業績がはたしてどのように評価されたものなのか、疑問を禁じえない」ということであった。そもそも、学界では、前記のとおり、彼女の名前すらほとんど知られておらず、裁判官兼研究者であった私でさえ、この方については、家裁系裁判官の一人という程度の記憶しかなく、裁判官をやめて弁護士、次いで学者になっていたことすら知らなかったのである。 日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。 「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」「なぜ、日本の政治制度はこんなにもひどいままなのか?」「なぜ、日本は長勤の停滞と混迷から抜け出せないのか?」 これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。