「学者たちも認めない?」”異例”の「学者枠」…最高裁判事任命の事例が示す「都合のいい人事」とは
「都合の良い人事」説
確かに、「この方の学者としての業績は未だ十分なものとはいえなかったのではないか?」という学者たちの感じ方が的はずれであるとはいいにくいところがある。その意味で、これは、前記のような司法行政ポストの人事に比べてもより異例の、理由のよくわからない人選であった。学者の中には、どうしても女性を登用したかったことが理由なのだろうと推測する人もいた。しかし、これについては、「女性学者の中にもより最高裁判事にふさわしい人は多数いたではないか?」という反論が行われていた。 私自身、この人事については、ずっと不思議に思っていたのだが、裁判員制度導入決定後の人事の不可解さにはもう慣れっこになっていたので、深くは考えなかった。 しかし、その後、元裁判官の先輩とこの人事について話した際に、彼女が最高裁判事に任命されたことにはそれ相応の理由があるのではないかという見方があることを知った。 その見方というのは以下のようなものである。 「学者出身の最高裁判事ポストについて、慣例を破った、従来では考えられないような人事を行うことには、何らかの特別な理由がなければならないが、この人事が行われた理由について考えられる一番可能性の高い説明は、この人事が、筋の通った反対意見を書くことが多く、また、ほかの判事たちに対する影響力も大きい学者枠の裁判官に、そのような人物ではない人が得られるという意味で、裁判所当局にとって都合のよい人事であるということではないだろうか? 具体的には、たとえば、必ず提起されるに違いない裁判員制度違憲を訴える訴訟について、全員一致の合憲判決を得るということが考えられる。今の最高裁判事の中で、裁判員制度について違憲の少数意見を書きそうな人がいるだろうか?いるとすれば弁護士出身者だが、彼らは、日弁連が裁判員制度支持の立場であった以上、先頭を切って反対意見は書きにくい。そうすると、唯一危ないのは学者枠の最高裁判事だ。そして、その学者が有力な学者であればあるほど、弁護士出身者を始めとするほかの判事たちの意見が揺らぐ可能性がある。そういう点からみれば、あの人は、裁判所当局にとって、きわめて安全で都合のいい裁判官ということになるのではないだろうか?」