「俺は地獄に行くから会えない」 妻と娘救えなかった罪悪感―残された家族守るため、思い出の地で再開した店 能登半島地震1年
2024年の元日に最大震度7を観測した能登半島地震は、年が明けると発生から1年となる。犠牲者228人、災害関連死は250人以上に及ぶ。 石川県輪島市で居酒屋を営んでいた楠(くすのき)健二さん(56)は、地震で倒れてきた隣のビルに自宅兼店舗を押し潰され、妻と長女を失った。 妻と2人で苦労して築いた店も一瞬にして消えた。 「2人は天国にいるけど、俺は(死んだら)会えるのかな」。 地震後、川崎市で始めた新たな店は軌道に乗ったが、がれきに挟まれた2人を救えなかった罪の意識は片時も消えない。残された家族を守るため、きょうもカウンターに立つ。 【写真】妻と長女が亡くなったビルの倒壊現場
がれきから見つけたシャツ着て 今も2人思う
地震から5カ月が過ぎた6月10日、楠さんは川崎市川崎区の繁華街に居酒屋「わじまんま」を開いた。妻由香利さん(当時48歳)と切り盛りした輪島の店と同じ屋号だ。 冬は輪島産の香箱ガニ(ズワイガニの雌)やフグが並び、箸袋やおしぼりも能登の業者から仕入れる。少しでも復興に役立てばとの思いからだ。 7席ほどのカウンターは石川ゆかりの人で満席になる日もある。 店に立つ際、「わじまんま」と書かれたTシャツを着る。地震の後、あのがれきの中から見つけ出した。 楠さんが描いた大漁旗を利用したのれんは見つからなかったが、同じデザインで新調した。妻のお気に入りだったから。 輪島の店にあった掛け時計も揺れのあった午後4時10分過ぎを指したまま、川崎の店に持ってきた。 「妻と娘の面影がないここなら平常心でいられると思ったけど、思い出のあるものばかり。2人のことを思わない日はないよ」
切れなかった娘の足 間に合わなかった救助
あの日、輪島市中心部にあった楠さんの店舗兼住居(木造3階建て)を、西隣の漆器店「五島屋」ビル(鉄筋7階建て)が倒壊して押し潰した。 普段は妻と子供2人の4人暮らし。長男は独立。長女珠蘭(じゅら)さん(当時19歳)は川崎市に住み、横浜市の看護学校に通っていた。 地震が起きた時、帰省していた珠蘭さんも含めて家族で食卓を囲んでいた。 楠さんと次男(22)、次女(19)は無事だったが、由香利さんと珠蘭さんはがれきの奥に取り残された。 すぐ近くで起きた火災を消すため、消防車両が何台も通り過ぎた。助けを求めて車両の前に立ちはだかると「火事が優先だ」と言われた。 自衛隊にも助けを求めたが「(2次被害の恐れがあり)隊員の命が危ない」と言われたという。 建材に足を挟まれながら「水が飲みたい」と声を絞り出す長女に、楠さんは水を渡し、夜通し2人の名前を呼び続けた。 「消防隊が来た時、娘はまだ生きていた。あの時、俺はのこぎりで娘の足を切ろうとしたの。足を切っていれば、今もここにいると思うんだよ。でもね、娘の足なんて切れるか……」と唇をかむ。 珠蘭さんは1月2日夜、由香利さんは翌3日に救助されたが、既に冷たくなっていた。 「2人は天国にいるけど、『俺は地獄に行くから会えないよ』と遺影にいつも言っている。助けてあげられなかったから」