<侍JAPANの井端監督も>「みるみるうちに痩せていく」「入学式前に1/4以上が辞める」…二人の大物OBが振り返る「日本一厳しい亜細亜大野球部」での「プロになれた分岐点」
下級生の憩いの場があった
阿波野 寮の夕食は一人、一人に配膳されているんだけど、おいしいおかずの日は上級生が2つとか食べちゃう。 与田 とんかつなんか、すぐになくなりましたよね。 阿波野 生姜焼きもすぐなくなった。 与田 すぐに片づけを始めなくちゃいけないですし、1年生のときの食事のイメージは冷めたご飯に味噌汁をかけて流し込んでいただけという感じ。本当にガリガリでしたよ。 阿波野 今でも覚えているけど、僕も1年生のときは64kgだった。 与田 入った時よりもどんどん痩せていくから亜細亜の野球部はダイエットするにはもってこいですよね(笑) 阿波野 下級生は部屋の中では食べられない決まりだったしね。 与田 先輩たちが部屋でカップラーメンなんかを食べていると、スープひと口でもいいからくれないかなって。もうヨダレが止まらなかったですよ(笑) 阿波野 たまに機嫌がいいときはくれる先輩もいたりしたけどね。 与田 もう常にお腹が鳴っていました。 阿波野 だから夕食のあと、先輩に頼まれて買い出しに行ったら菓子パンとかを買っておいて夜中に洗濯物を干しに行ったときにコソコソ食べたりね。仕送りで送ってもらった缶詰をストックしているヤツもいた。買い出しに行く2つの雑貨屋さんがオアシスだったよな。 与田 寮の並びにある「マルセイ」は「上」、坂を下ったところにあった「田村屋」は「下」と呼んでいましたよね。 阿波野 上級生が絶対に行ってはいけない決まりになっていた下級生の溜まり場。この名前を見たら亜細亜の野球部関係者が懐かしむだろうね。 与田 そこではパンを食べたり、炭酸飲料水を飲んだりできる。親からもらったお小遣いで駄菓子を食べながら、お店のおじちゃんやおばちゃん、娘さんたちと過ごしているとストレス発散になるんですよね。 阿波野 息抜きさせてもらった。 与田 店に着いた瞬間に「おばちゃん、カップラーメン2個作って」とかね。夕飯をしっかり食べられていないのを知ってくれていたから、おにぎりを握ってそっと置いてくれたりして。そのおにぎりが、またおいしいんですよね。忘れられないです。 阿波野 レトルトカレーがあったりとかね。でも、たまに成人して外食して酔っ払った帰りに寄る上級生もいた。 与田 心の中で「来んなよ~」って(笑) それで集合をかけたりは絶対ないんですけど、意地悪な人もいましたよね。 阿波野 あの瞬間は凍りつくよね。 与田 田村屋には一般のお客さんが入ってこない中庭があったじゃないですか。そこにビールのケースをひっくり返して置かれた椅子とテーブルの代わりになるものがあって仲間とくつろげた。 おじちゃんたちが僕らの愚痴をうまく聞いてくれたりもして、8時半の門限があるから30分いられるかどうかでしたけど、ああいう方たちに生き延びさせていただいたなって思います。 次回記事『「洗濯で夜は寝られず手が血だらけに」「先輩が寝るまでマッサージとうちわ」…大物OBたちが《日本一厳しい》亜細亜大野球部では「生真面目でも、いい加減でもダメ」と語る「深い理由」』では、寮生活でもっとも大変だったこと、今ではありえない練習を二人が思い返す。
週刊現代、鷲崎文彦
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