南の島の貝で作った貝輪は日本列島最高峰の威信財だった―忍澤 成視『貝輪の考古学―日本列島先史時代におけるオオツタノハ製貝輪の研究』磯田 道史による書評
◆日本列島人の忘れられた装身具史 「今の人は結婚式でダイヤの指輪を交換するけれど、縄文人や弥生人はどうしていたの?」。私は日本文教出版の教科書執筆者。歴史教科書で上記のコラムを考えたが自分でボツにした。代わりに、地震・津波・富士山噴火や感染症の歴史を載せた。しかし、今なら書ける。本書が出たからだ。 我々ホモサピエンスはシンボルに執着する変態な生き物だ。ダイヤや金銀は高貴であるなどと装身具の素材を序列化し、希少素材の入手に命さえかける。本書はそんな日本列島人の装身具事情を追った労作である。持っていればスゴイ品、高級腕時計や高級車を「威信財」という。列島人が最長期間、威信財にしたのは貝の腕輪。なかでもオオツタノハという採取困難な南の島の貝で作った貝輪だ。縄文早期~古墳終末期(7000~1300年前)だから6000年間、オオツタノハの貝輪は日本列島最高峰の威信財だった。 なんと本書の著者は実地調査で危険な海にもぐり、生物学者のいうこの貝の生息域の誤りを正した。さらに採取と製作実験で貝輪の材料採取・移出・加工・流通の全過程を解明。千葉の海岸で1万個以上の貝を拾って調べる著者の執念には、歴史オタクの私でさえたじろぐ。貝製の装身具はブレスレット(貝輪)とペンダント(垂飾)がある。縄文女性は貝輪を好んだ。貝輪の内周は17センチ前後。手がまだ小さい少女期につけ外せなくする貝輪と着脱可能な貝輪が両方あった。「成女式・婚姻・出産など」で装着したり、死後に外したりした可能性も指摘する。ちなみに私の妻の手の外周は19センチでほとんどの貝輪は着脱できない。 本書が解明した関東南部のブレスレット通史は、こうだ。縄文早期、江戸湾で手近な大きなサルボウ貝等で貝輪を作り始めるが、殻が薄く脆弱(ぜいじゃく)で、よく壊れた。縄文中期、アカニシという貝を試すがこれもよくない。とうとう、貝輪に向いたイタボガキに行き着き、これが縄文女性に大流行。さらに外洋で貝材をさがし始める。縄文後期になると、素晴らしい発見があった。九十九里浜に、貝輪に最適のベンケイガイが集まって打ち上げられる「点」をみつけた。これを使って爆発的にベンケイガイ貝輪が縄文女性に普及した。縄文女性の誰もが貝輪を日常的につける習俗が列島に定着した。こうなると、とまらない。縄文中期以降、伊豆諸島の「神津島に黒曜石がある!」と気づいた縄文人が丸木舟でこの島をめざしたが、さらに情報があった。「さらに南の島に奇跡の貝輪素材がある!」。これがオオツタノハだった。殻が大型で硬質。淡い紫褐色の色合い、放射状の筋まである。縄文人は「これだ!」と、おそらく多数の海難死者を出しながら、この貝を危険な岩場で採取して運び、縄文女性に貢いだ。列島人は余程、このオオツタノハが気に入ったらしい。弥生時代になっても貝輪の最高峰として現在のダイヤの指輪の位置にあった。古墳時代には、大王も王もオオツタノハ貝輪をかたどった石製の車輪石や銅釧を愛好し副葬品にした。 列島人にとりダイヤの指輪はせいぜい150年の威信財。オオツタノハは6000年である。忘れられた日本人の最高最長のアクセサリーの精密な歴史に驚いた。 [書き手] 磯田 道史 歴史学者。 1970(昭和45)年岡山市生れ。国際日本文化研究センター准教授。2002年、慶應義塾大学文学研究科博士課程修了。博士(史学)。日本学術振興会特別研究員、慶應義塾大学非常勤講師などを経て現職。著書に『武士の家計簿』(新潮ドキュメント賞)、『殿様の通信簿』『近世大名家臣団の社会構造』など。 [書籍情報]『貝輪の考古学―日本列島先史時代におけるオオツタノハ製貝輪の研究』 著者:忍澤 成視 / 出版社:新泉社 / 発売日:2024年04月10日 / ISBN:4787723057 毎日新聞 2024年5月25日掲載
磯田 道史
【関連記事】
- 知識軽視や狭隘・閉鎖・世襲・排除は、日本を衰退させるもとだと、歴史から知らねばならない―瀧井 一博『「明治」という遺産:近代日本をめぐる比較文明史』磯田 道史による書評
- 最新考古学の「物証」から言える「卑弥呼」像を率直に述べる―春成秀爾『古墳・モニュメントと歴史考古学』磯田 道史による書評
- 吉本隆明、「山の神」、土偶―荻原眞子『いのちの原点「ウマイ」』(藤原書店)、竹倉史人『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社)―鹿島 茂による読書日記
- 東京を壮大な「水循環都市」として三次元的に描き出す―陣内 秀信『水都 東京 ――地形と歴史で読みとく下町・山の手・郊外』松原 隆一郎による書評
- ヨーロッパの貴族は化石を食べていた?―ケン・マクナマラ『図説 化石の文化史: 神話、装身具、護符、そして薬まで』