終末期の患者4000人の生に寄り添う 最愛のわが子も看取った緩和ケア医、関本雅子さん 一聞百見
そのホスピスに人生をささげることになる原点には、「3人の死」に向き合ったという実体験がある。そのうちの一人が実父だ。
胃がんの手術を経て膵臓(すいぞう)にもがんが見つかり、手術をするかしないかという選択を迫られたタイミングで脳梗塞を起こした父。数カ月前に祖母を亡くしたばかり。母から「あなたは医者。できるだけお父さんを長生きさせてあげて」と懇願された。
「母にとっては自分の母と夫を立て続けに失うことになる。そう願うのも無理はありませんよね」。 家族にとって「一分一秒でも長く生きてほしい」というのは自然な願いだ。点滴で栄養を入れ、人工呼吸器をつなぎ、「全身管だらけ」で亡くなった。
心停止した父に馬乗りになって心臓マッサージをしながら考えていた。「父は本当にこういう治療を望んでいたんだろうか。嫌がってるやろうな…」。もし自分に意識がなくなったときはどうしてほしいか。生前に父の希望は聞けていない。39歳の時の体験だった。
■日々の営み そのままで尊い
末期がんなど完治の見込みが望めない患者らに寄り添い、無理な延命治療ではなく、身体の痛みはもちろん心のケアにも向き合い、その人らしい生活の質を維持することに全力を注ぐ。
人生の最期に直面した患者本人の不安、遺(のこ)される家族の悲嘆…。「身体の痛みというのは、患者さんにとってほんの一部なんです。たくさんの苦しみを抱えながらも、残された日々をどう生きていきたいか。患者さんたちの思いに寄り添えたら」。本格的にホスピスの勉強を始めたのは、実父を亡くした後だった。
その4年前、上司の医師をがんで亡くした経験も忘れられない。医療現場で働く者同士。CTの画像や血液検査の結果などを見ればすぐに「自分はがんだ」ということに気付いてしまう。そのため、健康な人のデータに全て差し替え、本人に見せ続けた。「本人も医者ですよ。それでも病名告知すらされない時代だったんです。少しずつ弱ってくるし、黄疸(おうだん)も出るし、本当につらかった」と振り返る。