養老孟司 食と安全を備えた<田舎>が日本から消えたワケ。「昭和30年代から全国の町に<銀座>が出来て…」
◆高齢化社会が最初に来た地 田舎が「消えた」というと、田舎の人は怒るかもしれない。これは実際に消えたというよりも、意識から消えたのである。 いわゆる高齢化社会を考えてもわかるであろう。なぜなら、高齢化社会が最初に来たのは、日本列島のなかでは、過疎地だったからである。 それからずいぶん経って、やがて「高齢化」社会になるとマスコミがいい出した。それを見聞きして、私は一人で腹を立てていたが、それは過疎地ではとうの昔に高齢化社会が来ているのに、あたかもそうした事態がこれから来るように報道したからである。 この例だけからでも、いかにジャーナリストが都会人かわかる。自分のいるところが「高齢化」しない限り、高齢化社会ではないのである。
◆都市は都市のみで立ちはしない 戦後の日本は要するに都市化した。「何わざにつけてもみなもとは田舎をこそ頼める」状況なのに、その田舎が「見えない」から、都市だけが現実だと思ってしまう。さらにそれを「近代化」ということばで覆ってしまったら、ますます田舎は見えなくなる。 しかし都市が都市のみで立ちはしないことは、それこそ鴨長明だって知っていたのである。だから「国際化」が叫ばれる。しかしそれも、ほとんど外国の都市を向いている。 外国の田舎に接するという意味での国際化ではない。外国の田舎というのは、いまではつまりわれわれの田舎ではないか。 昨年私はブータンに行ったが、今年はヴェトナムに行った。なにをしているのかというなら、自分の田舎を表敬訪問しているだけである。いうなれば、どこに「疎開」先を見つけておいたらいいか、それを考えている。 ※本稿は、『わからないので面白い-僕はこんなふうに考えてきた』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
養老孟司
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