バブルの証人が語る「昭和のディスコが私たちに教えてくれたこと」
甘糟りり子
作家。1964年神奈川県生まれ。玉川大学文学部英米文学科卒業。学生時代は資生堂のキャンペーンガールを経験。大学卒業後、アパレルメーカー勤務、雑誌の編集アシスタントを経て、執筆活動を開始させる。ファッション・グルメ・映画・車等の最新情報を盛り込んだエッセイや小説で注目を集め、主な著書に、『東京のレストラン : 目的別逆引き事典』、『真空管』、『中年前夜』、『産む、産まない、産めない』、『鎌倉の家』、『バブル、盆に返らず』『私、産まなくていいですか』など。
渡邉弘幸
uka 代表取締役CEO。1966年東京都生まれ。明治大学在学中は体育会アメリカンフットボールに入部し、クォーターバックとして活躍。大学オールスター戦であるヨコハマボウルでMVPを獲得し、大学アメフト界の花形として知られた。卒業後は博報堂に勤務し、営業部長などを経て2009年に退社。夫人でありネイリストとしても活躍する渡邉季穂さんの父親が創業した株式会社向原(現・株式会社ウカ)に取締役副社長として入社。美容室「エクセル」からトータルビューティサロン「uka(ウカ)」へのリブランディングのほか、教育機関ukademy、オリジナルプロダクト・サロンメニューの開発を担うR&D、ukafeの立ち上げ、海外展開にも尽力。2014年より現職。2017年には一般社団法人アジアビューティアカデミー(ABA)理事長に就任。
マハラジャ、キサナドゥ、トゥーリア、ビブロス…… 昭和のディスコはこんな場所でした
LEON まず、初めて行ったディスコから教えていただけますか? 甘糟りり子(以下甘糟) 私、六本木でも渋谷でもなくて、吉祥寺のディスコなんですよ。中学3年の時、当時の家庭教師の先生が高校に合格したお祝いに。その先生が東女*¹で、下宿先の近くのディスコに連れてってくれました(笑)。 渡邉弘幸(以下渡邉) ぼくも中学3年の時、「キサナドゥ*²」。
甘糟 「キサナドゥ」がすぐに閉店して、その後に「ナバーナ*³」が開いたのが1980年。この年に雑誌『BRUTUS』が創刊して、「青山ブックセンター」が開業したのよね。1980年、つまり昭和55年はエポックメイキングな1年だったのかも。 LEON すごい記憶力(笑)……にしても、おふたりとも中学生の時からディスコに行くんですね。ちなみに私は地味なクラスタに属していたので初ディスコは高2の時、渋谷の「ラ・スカラ*⁴」でした。初心者でも入りやすい雰囲気でしたが、遊んでる人はやっぱり違うんだなぁ。 渡邉 ぼくは学校(麻布中・高*⁵)も近かったからね。 甘糟 私は六本木に対して、鎌倉という距離的なハンディがあったから、高校時代は横浜のディスコが多かったかな。東京まで遊びに行くのは主に大学生になってからでしたね。 LEON ちなみに入場料はどうしていたんですか? 学生にとってはバカにならない金額ですよね。