バブルの証人が語る「昭和のディスコが私たちに教えてくれたこと」
甘糟 事故が起きたのは88年の1月5日でした。夜のニュース番組では映像付きで各局が報道していて、それを見た友人たちから生存確認の電話が続々とかかってきました。私も友人もよく行っていましたからね。ちょっと日にちがずれていたら、あのライトの下にいたかもしれない。翌年の1月7日に昭和が終わるわけですが、この事故が昭和のディスコの終焉を告げたようにも感じています。 渡邉 大箱の、いわゆるディスコの終わりだったね。「GOLD」が出来たのが89年だから、あれはもう平成なのか。昭和って、バブル時代と混同されがちだけど、実はバブル前夜なんだよね。その爆発しそうなエネルギーに満ちた時代だった。ぼくが好きなのはもっとレイドバックした雰囲気の、今でいうクラブに近い感覚のディスコでしたけど。
*1 六本木にあったディスコ。その後、沖縄でも展開。 *2 横浜と六本木にあったソウルミュージック系のディスコ。EXILEのHIROやZOOのLUKEがバイトをしていた。 *3 1989年、芝浦に開業した大型クラブ。最上階には大きなジャクージ風呂のある会員制ラウンジ「YOSHIWARA」があった。 *4 青山にあったディスコ。1983年開業。 *5 六本木にあった当時の高級ディスコの代表格。1988年1月5日に起きた照明落下事件では、女性13名・男性4名の計17名が照明装置の下敷きになり、3名が死亡、14名が負傷した。 *6 80年代後半から90年代前半にかけてF1やスポーツカー世界選手権などの国際レースで活躍した日本の企業、及びその傘下のレーシングチーム。同名のアパレルも展開し一世を風靡した。
いろんな意味で伝説を残した「マハラジャ」
LEON 昭和のディスコというテーマですから、やはり「マハラジャ*¹」は避けて通れませんよね。 渡邉 ぼくは、あんまり行ってないんだけどね。 甘糟 私は行ってましたよ、ミーハーだから(笑)。「マハラジャ」が出来たのは1984年の年末。私は大学2年生でしたが、「ストロベリーファーム*²」で待ち合わせしてからタクシーで行くことが多かったですね。男性は女性同伴じゃないと入れないとか、服装チェックがあるとか、店内だけで通用するマハラジャ紙幣なんかもあって、いちいち大袈裟なのが時代の気分だったんじゃないかな。ディスコの必須アイテム「お立ち台」の起源にも諸説あるけれど、私は初めてお立ち台が誕生したのもここだと思ってます。