「板倉」が飢餓を、「石棒」が世界を救う!? 岐阜・飛騨市で見た先人の知恵【第4回】
石棒と聞いて、とっさに杭かすり棒のようなものを頭に思い描いたが、まったく違った。石棒は、男根をイメージしてつくられたといわれる縄文人の「作品」だったのだ。子孫繁栄を祈って祭祀でつかわれたと考えられているが、まだまだ謎が多い。実は石棒自体はそれほど珍しいものではなく、北海道から九州まで全国で出土しているらしい。しかし、木下さんは、「宮川町は『石棒の聖地』なんです」と声を弾ませながら言った。 「ふつうはひとつの遺跡から数個しか石棒は出土しないんです。でも、ここ宮川町ではなんと1000以上もの石棒が一気に見つかりました。もちろん全国一です!」 保谷さんも続ける。 「さらにすごいのは、完成形の石棒だけでなく、原石、剥離(はくり)、敲打(こうだ)、研磨など各制作工程の資料が全部といっていいほど確認できるんです。さらに石棒製作のためつかった工具まで判明しています。宮川町でとれる『塩屋石』をつかっていて、それが北陸に広まっているんですよ。つまり、この地で集団で石棒を製造し各地に流通させていたのだと考えられます」 塩屋石は「黒雲母流紋岩質溶結凝灰岩」という立派な正式名称を持つ石で、縦にきれいに割れる性質があり、石棒づくりに適しているのだという。ひと口に石棒といっても、全長10㎝から1mを超えるもの、粗削りなものや磨かれたものなど、バラエティに富んでいる。 その石棒コーナーの中心で、私は夢に出てきそうなすごいものを見てしまった。シューと機械音がしたので振り返ると、やたらと太い石棒2本がまるでお立ち台のようにライトを浴びて、ぐるぐると回転していたのだ。
歩かずとも四方八方から眺められるのだが、「あまり予算もない民俗館で」と聞いていたのに、ここにお金をかけた理由はなぜだろう。その疑問もあいまって、何か縄文の気づきなどあるんじゃないかと回る石棒を無心で眺めることにした。
市民らが精力を注ぐ「石棒クラブ」とは?
しかし、石棒について再び語りだした2人の話が斜め上すぎて、すぐに心が乱れた。 「実は『石棒クラブ』っていうのも、がんばっていまして……」 石棒クラブ? 考古民俗館ファンクラブとか縄文クラブじゃなくて、石棒ピンポイント? その場でスマホを手に検索してみれば、石棒を愛する人たちで結成された会で、石棒の魅力発信が主な活動らしい。しかし「石棒で世界を変える」「石棒は私たちの希望」という壮大過ぎるキャッチフレーズや、たまに開催しているイベント名が、「石棒ナイトパーティ」「石棒神経衰弱」「石棒バー」と文字づらだけ追っても謎に満ちている。 「ふふ。その石棒クラブでは、インスタで毎日、『一日一石棒』しているんですよ」 一日一石棒とはこれまたパワーワードである。宮川町で出土した1074本の石棒を毎日、インスタグラムなどにアップしているという。たしかにクラブのSNSを覗くとズラリと石棒の写真が並んでいたりするが、インスタ映えとは無縁の地味な投稿だ。それでも、その渋さがいいのか石棒ファンを全国にジワジワと増やしていったという。 そんなある日のこと、石棒が、文化庁発行『月刊文化財』の表紙を飾るという快挙を成し遂げたのだ。一般の人にはほぼ知られていないマニアックな雑誌ではあるが、国宝でもない石棒が表紙に登場するのはかなりレアなことらしい。 うれしいことは続く。2019年の石棒クラブ設立以来、全国からの石棒見学者が殺到し、この5年で考古民俗館の入館者数が約4.6倍に増えたというのだ。縄文人も、子孫繁栄を願ってせっせとつくった石棒が、まさかこんなに未来の住人たちを喜ばせているとは夢にも思っていないだろう。飛騨市はまだまだすごいポテンシャルを秘めた土地なのではないか。