【闘病】「乳がん」を早期発見・治療できた理由 『わずかな異変』から発見できたのは…
「わたしはがん患者なんだ」
編集部: どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか? 坪井さん: まず手術で病変を取れるだけ取って、その後、化学療法や放射線療法を行うという治療方針でした。 編集部: そのときの心境について教えてください。 坪井さん: 先に、マンモトーム生検で組織を取って調べていたので、がんの顔つきや悪性度がすべてわかっており、それに基づいて提案された治療方針だったので、全面的に信頼してお任せしました。 マンモトーム生検のような針生検のなかった一昔前であれば、手術をしてがんを取ったあとに調べてからでないとわからない情報です。ただ、部分切除か全摘出かは自分で決断させてもらいました。 知人などで、年齢が上の人からは全摘出をすすめられましたが、私の主治医(若い女性の医師)からは部分切除をすすめられたということもあり、部分切除にすることにしました。 編集部: 実際の治療はどのようにすすめられましたか? 坪井さん: 手術はロボット手術で、傷跡は小さな三カ所のみでした。手術の結果、リンパへの転移はなかったのですが、乳管の外にわずかな浸潤があったので、ステージ0からステージ1へ変更になりました。 その後、遺伝子検査(オンコタイプDX)を行いました。検査の結果、私のがんは、化学療法(抗がん剤)をしてもしなくても、転移や再発の確率は変わらないタイプとのことだったので、化学療法は行っていません。 編集部: 抗がん剤は使わずに済んだのですね。 坪井さん: はい。がんの治療で一番怖いと思っていたのが抗がん剤だったので、この時はとても嬉しく思いました。ただ、放射線治療は行いました。 治療自体は、数分間横になっているだけなのですが、連続で16回受けなくてはならない治療で、日を追うごとに、怠さや患部の肌の異常が強くなっていきました。 毎日13時に治療を受けていたのですが、治療が終わって帰宅するとぐったりして眠ってしまう毎日でした。放射線治療が終わってほっとしたのも束の間、その2週間に肌荒れのピークが来ました。 終わっても油断できない治療ということを実感しました。職場から、3カ月という長めの休暇をいただいていたため、治療に専念できたのが幸いでした。 編集部: 病気の前後で変化したことを教えてください。 坪井さん: 治療をした年とその翌年は、「わたしはがん患者なんだ」と気分が沈むこともありましたが、今では頭の中から出て行ったようです。毎朝、ホルモン療法のための薬を一粒飲んでいますが、わたしは心も体も元気で、教員としてフルタイムで仕事もしています。