「まだどっかで自分に期待している」 挫折も借金も踏み越えて、ムロツヨシ&劇団ひとりのイバラ道
1周目はご祝儀、2周目から自分の力
“異性の存在”も、若き日の2人の心を突き刺した。お笑いライブの来場者は女性が9割。ひとり曰く、「スベる=オスとしての恥」だった。そんな状況下で続く、屈辱的な空回りの日々。ムロも交際相手から「口ばっかりじゃん」と手厳しい言葉を浴び、「この人に『面白い』と言わせるものを作ろう」と唇をかんだ。 借金も膨れ上がり、ともに消費者金融には上限ギリギリまで世話になった。「ほぼ何の希望もなかった」と口をそろえる。完済したのは、ひとりが25歳、ムロに至っては30代中盤を過ぎた頃だ。
ムロ:根拠のない自信を全部使い切ったのが26歳。「ここまでやって何もないから、日の目見ないかもな」と思い、自分に「もう辞めますか?」と聞いたけど、「辞めない」って言うんです。 そこから、名刺配りが始まるんですよ。いろんなところにお酒を飲みに行って、「コイツと仕事したい」となればいいなと思って。ひとりさんの家にお邪魔したのも、ちょうどその時期だった。その延長線上で、本広(克行)監督と出会って『サマータイムマシン・ブルース』の出演が決まりました。 ひとり:やっぱり大事ですね、そういうの。しかも、けっこう大きい役でしたよね? ムロ:メインでした。ちょっとした端役かなぁと思ってたら、8人の群像劇の1人でずっと出ずっぱり。すごくうれしかったけど、1回目は奇跡とか縁だったりしますよね。
ひとり:お笑いでもよく言われるんですよ。テレビに出始めた時は、どの番組でも1回は呼ばれる。1周目はご祝儀だから。2周目からが自分の力。 ムロ:ひとりさんが1周回った時って、きっかけはネタですか? ひとり:泣きです。深夜番組の『本能のハイキック!』(フジテレビ系)で泣きじゃくったのがえらいウケて。そこから、泣き芸につながるんですよ。「あれ、うちの番組でもやってくれ」って感じで。 最初は自力で泣いてたけど、1日に3、4回収録があると泣けなくなってきて、目にメンターム塗るようになった。そのうち、まぶたじゃ効かなくなって目ん玉に直接塗り始めたら、眼科の先生に「このままいったら視力失うよ」と言われて泣き芸を封印しました(笑)。