「まだどっかで自分に期待している」 挫折も借金も踏み越えて、ムロツヨシ&劇団ひとりのイバラ道
ひとり:ムロさんみたいに芸歴が長いと、“ニュートラルな芝居”がその人の完成形じゃないですか。昭和の名優たちはどの役を演じても「その人の色」を持ってますよね。よく「いつ見ても一緒だ」と言う人がいるけど、それは裏を返せば役者としての芯があるってことで。僕はそっちのほうが圧倒的に説得力あると思うんですよ。役者としては「違う自分を出したい」ってこともあるだろうけど。 ムロ:ひとりさんは演出もやられているから言葉の重みが違いますね。たぶん一番自然にできる芝居が、制作陣、監督、お客さんが抱いている“僕のイメージ”に近い。だからこそ、「もっと上を目指すためにはそれを捨てる勇気も必要なのか」とか考える40代中盤です。 ひとり:僕みたいにしゃべるスタイルでさえ、やっぱり20年前とは違う。いろんな人と話すなかで口調とか表情が自然に変化してきた。だから、とくに演出側から注文がなければ“一番得意な芝居”をやればいいんじゃないかな。取って付けたようなことをやっても、役者としての深みは出ないだろうし。
きっかけは『ひょうきん族』のテープ、結局たけしさんを追っかけてる
一見似た者同士にも思えるが、幼少期の環境はだいぶ違う。ムロは4歳の頃に両親が離婚し、父方の叔母のもとに預けられた。本能的に「ここで嫌われたら行くところがない」と感じ、周囲を気遣っておちゃらけるようになった。ムロいわく、「今の原形である“おちゃらけキャラ”はその頃に生まれた」らしい。 ひとりは父親がパイロットだった関係で、小2からの3年間を米アラスカ州で過ごした。冬はスキーを満喫し、夏はキャンピングカーで釣りに出掛ける日々。本人いわく「かなりのお坊ちゃま」だった。どちらも、今の仕事を選ぶきっかけは明確に覚えている。
ムロ:大学1年生の5月に、中井貴一さん主演の舞台『陽だまりの樹』を観に行きました。そこに出ていた段田安則さんを見て、もう即座に「あちら側に行きたい」って。役者を目標にした日です。 ひとり:え、それまで役者には? ムロ:そこまで興味なかったですね。1浪して、受かった大学の一番偏差値の高いところに行き、また就職活動の時にがんばっていい待遇の会社を目指そう、ぐらいの人生設計だったので。舞台を見て、急に変わりました。 ひとり:僕は(アラスカで)日本のテレビが見られなかった。ただ月に1回、千葉の同級生だった友だちが『(オレたち)ひょうきん族』(フジテレビ系)を録画したビデオテープを送ってくれて。 『ひょうきん族』がすべてだったから、もう擦り切れるほどに見て。「タケちゃんマン」も、本当のヒーローとして見てましたね。たぶん、お笑いの根底はそこでできた。 帰国後は『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)ですよ。その中で「お笑い甲子園」が始まったから高校時代に応募して、出てっていう。全部つながってますね。『ひょうきん族』のテープがなかったら今には至らない。小説書くのも映画撮るのも、結局たけしさんを追っかけてるんですよ。