「自殺とは、他殺である」|河合優実主演・映画『あんのこと』を通じて戸田真琴さんが感じた、実在の人物を描くことの怖さと希望の光
この作品は、売春、虐待、薬物中毒、PTSD、そして新型コロナウイルスによる断絶、様々な問題が苛烈にひとりの少女を襲い続ける様を描く深刻な社会派映画である。と同時に、人と人との繋がりによって差し込む光について真摯に肯定しようとする美しい映画だった。
杏はたしかに生きていた
シャブ中で“ウリ”の常習犯である杏が、客らしき男性から事前に代金をもぎ取ろうとするシーンから物語は始まる。薬物中毒の発作で昏倒した男性を尻目に、ホテルからの逃亡を図るも叶わなかった杏は警察に捕まり、多々羅という刑事と出会う。つかみどころがなく得体が知れない、だけれど杏にもわかるよう手を差し伸べる多々羅との交流によって、杏は徐々に自分を取り戻すきっかけを手繰り寄せていく。
私たちは、常に変動し続ける時代や価値観によって善悪も安全性や人生の持続可能性さえも振り回されるとても弱い生き物である。親も周囲の人々も、国も行政も、労働環境も街も、自分自身でさえも、たしかな正しさなど持ち合わせてはいない。あるのは、それぞれが掲げる「正しさ」と名のついた不安定な価値観であって、それが真に誰にとっても正しさとして機能する万能なものというわけではない。 誰かにとっては乗り越えられることも、別の誰かにとっては、とりかえしのつかない選択をする最後のひと押しになってしまうこともある。今あなたが「少し不便だけどこのくらいどうってことない」と乗り越えたハードルが、誰かの命をうばったかもしれない可能性について思いを巡らす必要があるということだ。
本作の制作までに監督の入江悠は、コロナ禍で2人の友人を亡くしたとインタビューで答えている。生きながらえている自分と越えられなかった人たちの間にあるものについて、監督とスタッフ陣、そして主演を務めた河合優実が霊力にも近い精神力を尽くして探し求めたのだということが、映画の持つ張り詰めた空気、隙のない作り込み、そして随所に映り込んでしまう美と祈りによって現れている。