親を看取るということ――梅宮アンナ「“家族の闘病”がいつまで続くのか教えてほしいと神に祈った」
日本透析医学会によると、国内の透析患者数は年々増加し、2020年末時点で約34万人。高齢者に限る場合、100人に1人の割合だという。没後3年を迎えようとする梅宮辰夫さんも、透析治療を受けていたうちの1人だ。 娘の梅宮アンナさんは、「お塩とお水の摂取制限がずっと続いて、飲んだり食べたりするのが何より好きだった父はひたすら我慢していました」と当時を振り返る。治療のつらさに尊厳死すら考えるようになっていった父の姿を見守り、一人娘としてその最期を見送ったアンナさん。お葬式、お墓、家の売却――やるべきことを一つ一つ乗り越えてきたいま、“親を看取るということ”について率直な思いを聞いた。(ジャーナリスト・中村竜太郎/Yahoo!ニュース Voice編集部)
尊厳死も考えていた父「生かされているのはつらい」
――お父様の梅宮辰夫さんは2018年9月に前立腺がん、続けて2019年1月に尿管がんの手術をされ同じ12月に慢性腎不全でお亡くなりになりました。特に最後は大変だったと伺っていますが。 梅宮アンナ: 父も母も私も、家族全員本当につらかったですね。もともと父はがん体質で、私が生まれて間もない頃がんで余命半年と宣告されて、放射線治療や抗がん剤、それと本人のものすごい生命力で命をつないできました。けれど2017年に初の開腹手術をして、胃は半分、十二指腸はほぼ全摘。見る見るうちに体重が落ちて、母からの携帯が鳴るたび反射的に「パパに何かあったかも」と思うようになりました。その頃から死に対しての覚悟はつくようになりました。 そして2019年に両親は松濤(東京)のおうちを売って、真鶴(神奈川)で住むことにしました。同時期に父の人工透析が始まったのですが、治療が終わると口もきけないくらい喉はカラカラになって、だるくて動けなくなっちゃう。1日塩分3g、水はペットボトル1本の摂取制限がずっと続いて、父はひたすら我慢していました。 ――料理を作ってみんなと楽しむのが、辰夫さんの生き甲斐だったんじゃないですか。 梅宮アンナ: そう。だから悔しくてつらかった。で、人にダメって言ったことがないとにかく優しい父が、徐々に怒りっぽくなってしまい、病気はこんなに人を変えてしまうのかと愕然としました。「気晴らしに釣りに行こうよ」と誘っても「行ったってつまらない」。次第に鬱っぽくなり、透析を続けて4か月過ぎたくらいかな、「俺、もういいや」って言い始めたんです。透析をしないと10日間も生きていられないのですが、「生きてるって感じがしない」「生かされているのはつらいんだよ」と呟くように。 さらに数か月経つ頃には、尊厳死の話をするようになりました。ちょうど選挙の時期で、父は毎回必ず投票に行くんですけど、尊厳死を認める公約の政治家に入れると宣言していました。「長生きしましょうって言うけど、自分の意志でそうなることができないなら、はたして意味があるのか」、そんなことをポツリとこぼしていました。それで、日々不機嫌になって、わがままになるし、これまでとは別人のような怒鳴り方をするし。でも、そばで見ていてわかりますけど、よっぽど苦しかったんだと思います。