親を看取るということ――梅宮アンナ「“家族の闘病”がいつまで続くのか教えてほしいと神に祈った」
「ご苦労さま」10か月は決して短くなかった
――お亡くなりになったときはいかがでしたか? 梅宮アンナ: 「ママ、じっじが死んじゃったよ」と娘が私の部屋に飛び込んできて、寝間着のまま私たち(母娘)の家から車に乗って真鶴へ駆けつけました。車中でも、本当に死んじゃったのかなって半信半疑でした。到着すると父はリビングに倒れていて、お医者さんと救急隊員さんが蘇生処置をしてくれていて、すでに2時間経っていました。私が「息は止まっているんですか?」と救急隊員さんに聞いて「止まっています。どうしますか」と言われたので「じゅうぶんです。大丈夫です。もういいです」と伝えました。家族がそう言った時点が死亡時刻なんですね。母も付き人さんも、大声で号泣して。その時私は、なぜか涙は出なかったんですよね。なんて言うのかな、呆気ないというか、そんな状況だから、いまは泣けない、あとでまとめて泣こうじゃないけど……。 ――そのときお父様になんと言葉をかけましたか。 梅宮アンナ: 「ご苦労さま」って言いました。いままで大変だったよね、これでじゅうぶんだよねって。でも一生懸命やったから、みんなで。「パパ、やっと休めるね」って思いながら。父が一番つらい状況で過ごしたのは10か月間。周囲の人からは「10か月で亡くなったなんて」と言われるんですけど、私は正直、それ以上苦しまなくて良かったと思っています。だって本当に大変だったから……。病気のせいでイライラして、あんなふうに怒鳴るのも、父も本当は嫌だったでしょう。最初の4か月が本人の限界だった、本当によく頑張ったと思います。
若い頃は心配をかけたけれど、いまは責任を持ってやり遂げたい
――お父様との思い出で一番印象的なのは? 梅宮アンナ: 学生時代、ずっと私のお弁当を手作りしてくれたことかな。中身はいつも一緒で、のり弁と卵焼きと鮭と焼きたらことお肉。本当に美味しくて、同級生が食べたいっていつも大人気でした。父は、お米の炊き方から魚の焼き加減、おかずの味付けにとことんこだわって、毎日朝5時に起きて作ってくれていました。新学期になると「年間スケジュールを渡しなさい」と言われ、それを父が自分の手帳に書き込んで、PTAや学校行事に率先して参加してくれるんです。「おまえの出来が良ければ、俺はこんなことしないんだけど、おまえはすぐ先生に呼ばれちゃったりするから、これは父親としてちゃんと娘のことを考えています。先生、うちの娘をちゃんと見てくださいということなんだ」といつも言ってましたね。 ――お父様にとってアンナさんはどんなお嬢さんだったんでしょうか。 梅宮アンナ: 一人娘ですし、やっぱり溺愛されていたと思います。父は怒るときはめちゃめちゃ怖いんですけど、それは私が間違っている場合。それ以外は、本当に優しかったんです。あと、若い頃の恋愛ですごく世間を賑わせて心配をかけてしまった、そのことは本当に申し訳なかったです。父親が女の子を育てるのは男の子の場合と違って、気が気じゃないということが当時はわかりませんでした。いいじゃない、好きな人なんだから、私がしあわせだからいいじゃない、みたいな。でも親って違うんだなってことが、自分が子どもを産んで育ててみてよくわかりました。親はやっぱり心配しますよね、子どもからいくら「大丈夫」って言われても。 若い頃、父に「いいよ、そんなに心配しなくて」と生意気なことを言っていた私が、父の晩年はまた、「私が心配かけるからパパはボケないよ」とバカなことを言いましたけど、父が生きてる間にもう少しきちんとできたんじゃないかとと悔やむ気持ちもあります。でもいま、死んじゃったいまだからこそ、余計に一生懸命やろうと心に誓っています。家や母やワンちゃん、父が残したものが結構あるし、責任持って面倒見ようと。 普通の人に比べて世間知らずだった私が、家の売却やお葬式、お墓のことなど全部、一生懸命勉強してやりました。この先もいろいろやることがありますし、まだまだ終わりません。そういう意味でこの3年間は大変だったけど、いい経験をさせてもらったと思います。父が生きているときはこんなに問題に向き合って一生懸命にやれなかったと思います。だからいまは天国から「ちゃんとやりなさい」って見られているような気がします。 ----- 梅宮アンナ(うめみや あんな) モデル・タレント。1972年東京生まれ。父は俳優の梅宮辰夫、母は元モデルのクラウディア。街でのスカウトをきっかけに、19歳でモデルデビュー。『JJ』『CLASSY.』『VERY』など、人気女性ファッション誌の専属モデルを務め、カリスマ的な人気を博す。2002年に、娘・百々果を出産してからは、タレント業と母親業の両立に日々奮闘している。現在は、TV、雑誌、イベントのほか洋服のプロデュースなど、幅広くクリエイティブな分野で活躍中。著書に『梅宮家の秘伝レシピ 梅宮辰夫が家族に遺した料理帖 シンプルで豪快』(主婦の友社)がある。