なぜ東京五輪で不発に終わったFW林大地はベルギーのシントトロイデン移籍を決断したのか…「自分を追い込み生きていきたい」
J1のサガン鳥栖からベルギー1部のシントトロイデンへの完全移籍が決まった、東京五輪代表のFW林大地(24)が9日にオンラインによる移籍会見に臨んだ。 シントトロイデンからは東京五輪の開幕前に「興味がある」と連絡が入り、大会期間中に正式オファーを受けた。大阪体育大から加入して2年目の林は「この時期の海外移籍は正直、考えていなかった」と驚きながらも即決し、東京五輪を4位で終えた直後の8日に発表されるに至った理由を「刺激」の二文字に帰結させた。 「ものすごく刺激のある日々を、代表で送っている期間中にいただいた話だったので。オーバーエイジの方々だけでなく、海外へ行っている同世代の選手たちからもいろいろな話を聞いたなかで、自分がいままで感じたことのない重圧のなかでプレーしているんだと伝わってきた。サッカー選手である以上は自分もそういった重圧を抱えて、自分を追い込みながら生きていきたいと思ったので、迷わずに行くことを決めました」 当初はバックアップメンバーの一人だった東京五輪へは、登録選手枠が「18」から「22」へと拡大された特例に伴って正式メンバーへ昇格。FW上田綺世(鹿島アントラーズ)の故障もあって、本番では1トップのファーストチョイスになった。 U-24日本代表が戦った全6試合のうち、U-24フランス代表とのグループリーグ最終戦を除く5試合で先発。ゴールは「0」に終わったが身長178cm体重74kgの身体をフル稼働させたポストプレーと労を惜しまない前線からの守備に象徴される献身性で貢献し続けた。 大会終了後には森保一監督から「大会を通して、ものすごく成長したね」と声をかけられた林は、自分自身を「昔から上手い選手ではなかった」と振り返ったことがある。 「負けん気の強さであるとか、1対1における勝負強さで何とか生き残ってきた選手だと思っています。一人前の選手というか、第三者の方から『戦えるようになってきたね』と評価をいただくようになったのは、大学生になってからですね」 中学生時代はガンバ大阪のジュニアユースに所属するも、最上級生になってもほとんど試合に出られず、残念ながらユースへ昇格できなかった。ひとつ年下ながら絶対的な存在感を放っていたMF堂安律(現PSVアイントホーフェン)と、今年6月にU-24代表のピッチで共演しても、距離感は変わらないと苦笑したこともある。 「(堂安)律に近づいてきた、という思いはないですね。言い方はちょっと悪くなりますけど、自分がいま所属しているステージとは違うと思っています」