新刊刊行記念「初顔合わせ」対談!「色気のある男」も「クズ男」も書いていく(桜木紫乃×町田そのこ)
過去を食べて生きている感覚
桜木わたしは最初、なぜか大阪で、『52ヘルツのクジラたち』で本屋大賞を獲った町田そのこさんが、どうやら桜木のことが好きらしいよと聞いたんです。また別の機会に大阪にイベントに行ったとき、客席の方から町田そのこさんが『ホテルローヤル』を書き写したらしい、と教えてもらったんです。そんなことをする人がこの世にいるのかと驚きました。 町田好きな言葉や文章を書き出しました。作家になったら、こういうふうに時代を遡る物語をやりたいと思って、『うつくしが丘の不幸の家』というのを書きました。 桜木北九州で理容師をやっていたと聞いて、さらに興味を持ちました。わたしが九州の女性の芯の強さに惹かれることが多いのと、あと実は十五歳くらいまでは理容師になりたかったというのもあって。父がラブホテルを始めちゃって、その手伝いをするために道は絶たれてしまったんだけど。長くあこがれの職業だったんです。そういえば、北九州といえばパンチパーマですよね。 町田そうなんです。パンチパーマは福岡の小倉発祥とされていて、わたしも練習しました(笑)。二十五、六年前ですかね。当時はまだ住み込みの制度が残っていて、先生のところに住み込みをしながら学校に通って、学校のあとはお店で手伝い、閉店後に練習というような日々を送る友人もいました。 桜木いいなあ。わたしも手に職がほしかった。 町田でもなにをやっても下手くそで、専門学校時代からしょっちゅう怒られていました。シャンプーして体を起こしたら背中がびしょ濡れだったり、刈り上げの練習をすればアシンメトリーになっちゃったり。当時はまともに施術できなくて辛かったですけど、作家になってみると、ダメだったことも、抱いていたコンプレックスもなにもかも小説に使えるので本当にありがたいなって思っています。付き合ってきたダメな男たちとの思い出も……。 桜木いろいろあっても、小説を書くときにはもうすべての無駄がなくなってるの。嫌な思い出も、書けばお金になるの(笑)。ありがたいことに、自分のなかで消化もできる。過去を食べて生きてる感じがしますよね。原稿料は恥かき料と思ってる。たいがいの失敗は「おいしい」ですね。 町田自分が若い頃男に貢いだ過去とか、男にかけたお金の額とか、掘り起こすと情けないんですけど、「あのときの十八万円があるから作家になれた」なんて思うようにしています。 桜木なに、その具体的な金額!?