【山手線駅名ストーリー】高輪GW開業までは乗降者数断トツ最下位 の鶯谷。都育ちの親王が関東の鶯のヤボったい鳴き声に耐えかねた?
入谷鬼子母神と子規庵
鶯谷駅南口から徒歩3分ほどの真源寺は入谷鬼子母神の名称で親しまれている。毎年7月6日-8日の朝顔市は言問通りを車両通行止めにして、盛大に開催される東京下町の夏の風物詩だ。約120軒の業者が販売する鉢植えが並ぶのは壮観である。 北口から徒歩3分の根岸2丁目にある「子規庵」は、俳人・正岡子規が、1894(明治27)年から1902(同35)年に死去するまで住んだ地である。 根岸は江戸期から画家や文人が居住していたことで有名だったが、その伝統を明治に入ってからも受け継いだのが子規だった。高浜虚子(たかはま・きょし)や河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう)ら俳人が集い、俳句雑誌『ホトトギス』に携わった。
震災の影響による解体や東京大空襲での焼失などに遭ったが、土蔵に保管していた遺品は残ったため弟子たちが復元し、硯(すずり)などを展示している。 子規は春の季語「鶯」を入れた句を詠んでいる。 <飯たかぬ朝も鶯鳴きにけり> 朝の静寂のなか、鶯の鳴き声が響く情景が浮かぶ。
【鶯谷駅データ】
・開業 / 1912(明治45)年7月11日 ・1日の平均乗車人員 / 2万1112人(30駅中29位/2022年度・JR東日本調べ) ・乗り入れている路線 / なし
【参考図書】
・『駅名で読む江戸・東京』大石学 / PHP新書 ・『まるまる山手線めぐり』DJ鉄ぶら編集部編 / 交通新聞社 ・『山手線お江戸めぐり』安藤優一郎 / 潮出版社 ・『鶯谷駅名の由来考』認定NPO法人産業クラスター研究会
【Profile】
小林 明 1964年、東京都生まれ。スイングジャーナル社、KKベストセラーズなど出版社での編集者を経て、2011年に独立。現在は編集プロダクション、株式会社ディラナダチ代表として、旅行・歴史関連の雑誌や冊子編集、原稿執筆を担当中。主な担当刊行物に廣済堂ベストムックシリーズ(廣済堂出版)、サライ・ムック『サライの江戸』(小学館)、『歴史人』(ABCアーク)、『歴史道』(朝日新聞出版)など。