余命宣告を受け命がけで彫った93枚の彫刻は1台850万円超のテーブルに…日本人トップ職人50年の研鑽
22歳で唐突にスウェーデンに渡り、子育てをしながらも金属彫刻職人として研鑽を積み続けてきた美知子・エングルンドさん。誰もが自分の技術をライバルに教えたくないフリーの職人の世界で、どのように技術を磨き、トップ職人として頭角を現すようになったのか――。 【写真】ハンティングナイフに施した、美知子さんの彫刻 ■ヨーロッパ社会の根強い彫刻文化 海外、特にヨーロッパなどでは男性が「シグネットリング」と呼ばれる指輪を付ける文化があることをご存知だろうか。指輪には家紋や名前にちなんだモノグラムが彫られ、古くは身分を証明するものとして、時にそれを印鑑として大切な場面で使用する。 貴族など階級の高い人々のあいだでは特に、その文化は根強く受け継がれている。男性の成人のお祝いに、家紋を彫ったシグネットリングを親や祖父母が贈ることも珍しくない。スウェーデンでも、その風習や文化は日常の中に根付いている。 「今は機械で彫るのも珍しくはないけれど、古くからのものや大切なものは手彫りでなくてはいけない、と考える人もいまだに多いです」 金属ギフト用品の下請け彫刻の仕事は忙しく、毎日子どもが寝たあとに働いていたという。とてもキツかったが、比例して技術力は上がり、ますます「ミチコにやってほしい」という顧客が増えていくなか、彼女はあることを考えていた。 「いま、スウェーデンでこの手彫りの仕事をしているのは、40代前半の自分を含めて3~4人しかいない。しかも他の職人は自分よりも20~30歳も年上のおじさんたちばかり。今後、この国の王子・王女たちが結婚記念品などを作る時期は、おそらく10~20年後になるはずだ。その頃には多分、私や下の世代に依頼が来ることになるだろう。もしそのとき自分がトップの職人になっていれば、自分にオファーが来るはず。それまでに技術をもっと磨いておかなくては」 しかし、独学では限界があった。周りの職人たちも、ライバルにわざわざ技術を教えてはくれない。国内ではこれ以上学べないと判断した彼女は、海外に目を向けた。 ■高い技術を求め、見本市に足を運ぶ 子どもたちも13~15歳になり、ようやく手を離れてきた。自身は44歳。 美知子さんは、ジュエリーの見本市などに、積極的に足を運ぶようになった。 ヨーロッパは宝飾品の細工・加工において古い歴史を持つ。さかのぼるとローマ帝国時代に加工の技術が高まり、時にはキリスト教の権威、あるいは支配階級の特権など、ジュエリーが権力を象徴するアイテムとして用いられた。近世に入ると一般にも広く普及するようになり、技術やデザインが高度化していった。 歴史的な背景もあり、ヨーロッパでは大規模なジュエリーの見本市が毎年数カ所で開催されている。会場では、ジュエリーだけでなく原材料の宝石や加工のための道具などを見ることができ、ジュエリーに関するさまざまな職種の人々が訪れる。特に、スイス・ドイツ・イタリア・ミュンヘンの見本市が定番で、美知子さんは毎年この中の2カ所には必ず行っていた。 ジュエリーに施された彫刻を見て「この技術はすごい」と思ったら、「この技術を学びたいんですが、教えてもらうことはできますか?」とブースにいる人に声をかけ、休暇の期間を利用し、短期間海外に学びに行くことを繰り返した。 講座代金はもちろん、移動・宿泊・滞在費などすべて自腹だ。支出はかなり大きかったが「お金をかける価値がある」と信じて行動し続けた。 たとえば、アメリカで学んだマイクロスコープを使って彫る方法。それまで肉眼では限界だった細かいデザインも、それ以降正確に彫ることができるようになった。 スウェーデンでその方法を初めて取り入れた職人は、美知子さんだという。現在では金属彫刻職人たちはもちろん、宝石をジュエリーに留める石留め専門の職人たちもみな、マイクロスコープを使用するのが一般的となっている。