余命宣告を受け命がけで彫った93枚の彫刻は1台850万円超のテーブルに…日本人トップ職人50年の研鑽
■向上心が呼び寄せた、巨匠との出会い 向上心は、とどまるところを知らなかった。2000年代初頭に訪れたイタリアのブレシア市で開催されたハンティングフェアで「ハンティング・エングレーヴィング(狩猟用の武器の彫刻技法)」と出合う。 ヨーロッパでは、ナイフなど「狩り」に使う道具を男性ならではの贅沢品と考える文化がある。そして、ナイフ本体よりもそこに豪華な模様などを彫ることにお金を費やすそうだ。「当時でも、巨匠の作品となると彫刻費用だけで1000万円以上だった」というから、すごい世界だ。 当然、フェアに来ているのは高価なハンティングウェアを着た富裕層の男性ばかりで、女性は美知子さん1人だった。 世界各国から集まったハンティング用品の各メーカーは、必ずと言っていいほど自社製品に巨匠が手彫りを施した作品をいくつか置き、来場者に見せて商品のPRをしていた。美知子さんも巨匠たちの作品を「この目で見たい!」と思いブースを訪問するが、そのたびに「女? 銃も買わないでしょ? 買わない人には見せないよ、ここはあんたの来るところじゃないよ」といった態度で、冷たくあしらわれてしまう。 どうしよう、と逡巡していると、知り合いのアメリカ人がデモンストレーターとしてアメリカの彫刻刀メーカーのブースにいるのを見つけた。そのブースを訪ねると、彼は美知子さんに「彫刻の技術について教えるよ」と言うので、美知子さんはブースに入り、教えてもらった通り彫刻刀を研いでいた。 すると、その様子を見ている人物がいた。それはジアンフランコ・ペデソーリという、ハンティング・エングレーヴィングの世界では屈指のイタリア人彫刻家のひとりだった。 ■信じられないほど精密なアート彫刻の世界 アメリカ人の知人は、業界で知らぬ者はいない著名人のペデソーリ氏に美知子さんを紹介した。会場に着いたばかりのペデソーリは自分の作品がどこのブースに展示されているかわからなかったようで、「どこか知ってる?」と美知子さんに訊ねた。追い返されたブースに彼の作品があることを知っていた美知子さんは「案内します!」とペデソーリをその場所へ連れて行った。 先ほど美知子さんを追い返したスタッフが、今度はペデソーリを連れて戻ってきたことに目を丸くしている。美知子さんは素知らぬ顔でペデソーリを案内しつつも内心は嬉しくてしょうがなかった、と言ってアハハハ、と笑った。 ペデソーリが「おれの作品を見せろや~」と言うと、スタッフは白い手袋をはめ、ビロードの生地に作品を載せて見せた。するとペデソーリは「この子(美知子さん)にも見せろよな」と言ってくれた。 「その時に見せてもらった作品は、それはそれは素晴らしかったです。まるでモチーフが踊っているように見え、なんとも楽しい気分になる作品だった。これは『アート・エングレーヴィング(芸術の域の彫り)』なんだと思いました」 美知子さんはそれまで、金や銀などの柔らかい金属を彫ってきた。一方、ハンティング・エングレーヴィングは、鋼鉄などのとても硬い金属に対して彫る。美知子さんも最初は、手彫りだとはとても信じられなかったそうだ。彼女は確信する。このハンティング・エングレーヴィングの分野は、家紋や文字を彫っている今の自分の仕事とは畑違いかもしれないが、この技術を手に入れれば確実に自分の技術力が上がる。