「とんでもない天才がいる」北海道“ナゾの公立校”が『高校生クイズ』のダークホース? 伊沢拓司の開成高が優勝…クイズ史に残る「神回」ウラ話
今年9月、7年半続いたTBS系の人気番組『東大王』が幕を閉じた。同番組の人気の礎となったのが、「クイズ王」伊沢拓司の存在だろう。クイズメディア「QuizKnock」を設立し、日本にクイズの新たな歴史を紡いだ伊沢の原点は、2010年の『高校生クイズ』優勝まで遡る。 【写真で比較】「あ、あか抜け過ぎじゃない…?」爽やか“クイズ王”伊沢拓司の超予想外な高校時代…「伊沢が恐れた男」“旭川の神童”塩越希と重綱孝祐「極北のナゾの公立校チーム」の高校時代と現在も写真で見る もし同大会で伊沢が敗れていたら――おそらく現在の日本のクイズシーンは全く違ったものになっていただろう。では、同大会で伊沢擁する開成高校が「最も恐れた相手」とはどこだったのか。後のクイズ王を追い詰めた、「極北の公立校」の正体とは? 《NumberWebノンフィクション全3回の1回目/つづきを読む》 いまから16年前の2008年の春。旭川東高校1年生だった16歳の重綱孝祐は、友人に誘われ、クイズ研究会の部室を訪れていた。 高校に入学して3カ月。重綱は「何となくカッコ良さそう」という実に男子高校生らしい理由で、すぐに軽音部に入部していた。 ただ、そんな重綱でも、6年前に母校が『高校生クイズ』で優勝した経験があったのは知っていた。当時、テレビを見ていた頃は小学生だったが、それでもそのシーンは強く記憶に残ってもいた。 「あれ、良かったよな。俺もああやってテレビに出てみたいなぁ」 もともとクイズそのものにも興味があったこともあり、偶々クラスメイトのクイ研部員にそんな話をする機会があった。すると、「じゃあ試しに重綱も来てみてよ」と声をかけられたのだ。 そうして部室に向かってはみたが、地方公立校の同好会活動である。当然、予算もほとんどない。何年か前の先輩が買ってきたオモチャの早押し機を使って、大昔から部室にある問題集を読みながら、部員皆で楽しくクイズをする。そんな活動が基本のようだった。 一方で、その部室で重綱は予想外の人物を発見する。 「行ったらビックリしたんです。『“あの”塩越希がいるじゃん! 』って」
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