「とんでもない天才がいる」北海道“ナゾの公立校”が『高校生クイズ』のダークホース? 伊沢拓司の開成高が優勝…クイズ史に残る「神回」ウラ話
重綱がクイ研部室で出会った“旭川の神童”
旭川東高は北海道でも屈指、道北地方ではNo.1の進学校である。 当然、その地域で学力的に高い生徒たちが集まってくることになる。そして、その多くは中学時代から塾通いで、顔も見知った中であることが多かった。 「そんな中でも『塩越希というとんでもない天才がいる』という話は有名で。僕も顔は全然知らなかったんですけど、尋常じゃない頭の良さだけは噂で聞いたことがあった。その“神童”がクイ研にいたんで、なんかちょっと驚いてしまって(笑)」 ちなみに塩越は後に大手予備校の模試で全国1位に輝いている。 履修速度などを考えると、関東や関西の中高一貫私立校を相手に地方公立校の生徒がその成績を叩き出すということは、にわかに信じがたいことでもあった。 一方で、重綱が実際に話してみると、塩越とは不思議とウマが合った。 入学当初から学年トップの成績だった塩越に、最初は鼻持ちならない印象を抱いていた。だが、実際に絡んでみればノリも良く、すぐに6年前の『高校生クイズ』の話で盛り上がることもできた。 実は塩越にとっても、母校の全国制覇は少年時代の心に強く記憶されていた。 当時10歳だった塩越は、テレビの中で駆けまわる高校生たちの姿に夢中になった。北海道で生まれ育った塩越にとって、普段のテレビ番組は自分の日常とは「別世界」の話だった。だが、この時見ていた『高校生クイズ』で目にしたのは、地元・旭川東高校の生徒たちの躍進だった。「知力・体力・チームワーク」をキーワードに、遠くオーストラリアを舞台にした決勝で、近所の高校生たちが優勝まで成し遂げたのだ。 「いつか自分もこういう舞台に出てみたい」 小学4年生だった塩越少年の心には、おぼろげながらそんな小さな火が灯っていたのだ。 「自分たちも1回くらいは全国大会に出られたらいいね」 仲良くなるにつれ、塩越と重綱は、そんな話もするようになっていった。軽音部だったはずの重綱も、いつの間にかクイ研の活動の方に力を入れるようになっていた。当時、北海道ではまともに活動しているクイ研はほとんどない時代だ。決して「精力的に活動していた」とは言えない旭川東でも、道内では十分、強豪校だった。 ところが、である。 高校に入学して最初の夏。そんな重綱と塩越の「全国に出られたらいいね」程度の熱量を、激変させる出来事が起きることになる。
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