「とんでもない天才がいる」北海道“ナゾの公立校”が『高校生クイズ』のダークホース? 伊沢拓司の開成高が優勝…クイズ史に残る「神回」ウラ話
クイズって「どうやったら強くなれる?」
そうしてクイズに本腰を入れようと考えた2人だったが、ここで意外な壁に直面する。 「クイズって、どうやったら強くなるの――?」 これまでの自分たちのやっていたことだけでは、おそらく全国では通用しない。それは分かる。では、どうやってトレーニングをすればいいのか。日本の極北の地では、周囲にクイズ研究会のある学校などほとんどない。OBが高校生クイズで優勝しているとはいえ、当時はバラエティ色も強く、求められる能力も全く違う。いわゆる「競技クイズ」のノウハウを知っている人自体が全くいないのだ。 「本当に手探りで。部室には古いクイズ本は何冊かありましたけど、やっていればすぐネタも尽きてしまう。なんとかあの全国大会で戦いたい。でも、そのために何をやっていいかわからない。そんな状態でした」(塩越) そんな2人の転機となったのが、1年生の冬に出場した「エコノミクス甲子園」だった。 「エコノミクス甲子園」とは正式には「全国高校生金融経済クイズ選手権」という。現在まで続く高校生を対象とした金融および経済の分野に特化したクイズ大会で、この年、同大会が初めて北海道でも予選を実施することになったのだ。 重綱が振り返る。 「もともと塩越は全科目が優秀だったんですが、僕も世界史と政治経済だけは得意だったんです。だったら同じチームで出ようか……ということで出場したら、運よく全国大会に出ることができて。最初は『タダで東京にいけるじゃん! 』とか喜んでいたんですけど」 その全国大会では、他都府県の代表と合同チームを作ってプレゼンをするようなクイズもあった。そこで、2人は東京代表だった開成高の田村正資や、いわゆる競技クイズの強豪校の面々と知り合うことになった。 同時に、そこで大きな衝撃も受けることになる。 「もう、自分たちとは全くレベルが違う。早押しの技術も、問題の知識量も」 最も驚いたのは、大会の外での日常からのクイズへの取り組みだった。 「大会中の宿舎で『みんなでクイズやろう』となったんですけど、早押し機なんてないですよね。どうするのかと思ったら、電卓の数字ボタンに指をかけてクイズをやるんですよ。そうすれば早く押せた人の番号が先に出るじゃないですか。強豪校って日々こんなことまでやっているのかと。本当にカルチャーショックでした」 そんなショックを受けた一方で、ここで多くのライバルと知り合えたことで、旭川東クイ研の実力は飛躍的に向上していくことになる。 「そこでみんなと連絡先を交換して、スカイプで話をするようになった。そうすると、関東圏のいろんな大会の情報も入ってくるようになるわけです。頼んで大きい大会の過去問を送ってもらったり、話をするなかで自分たちの知らなかった知識もどんどん増えていきました」 クイズ業界の中で共有されている「ベタ問」と呼ばれる基本問題すら、当時の旭川東にはなかった知識だった。そして、そういった知識はたとえ全国トップの成績を誇っていた塩越であっても、「覚えなければ勝てない」ものでもあった。塩越が言う。 「結局、学校の勉強だけでは絶対的に知識の幅が足りないんです。だからまずは単純に、クイズの知識を覚えて増やす。その上で、今度は早押しとかに対応する技術を磨かないといけない」
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