「とんでもない天才がいる」北海道“ナゾの公立校”が『高校生クイズ』のダークホース? 伊沢拓司の開成高が優勝…クイズ史に残る「神回」ウラ話
2008年の『高校生クイズ』に起こった“異変”
2008年の夏、第28回の『高校生クイズ』。 塩越と重綱にとって初となった憧れの大会は、早々に北海道予選序盤の〇✕クイズで敗退となった。残念さ半分、「まぁ1年生だし、そりゃそうだろう」という諦観半分で、2人は後日、テレビで放送された全国大会の様子をぼんやりと眺めていた。 そこで、ふと違和感に気づいた。 おかしい。これは、自分たちが知っている『高校生クイズ』ではない。 出題されるのは、普段の部活動では聞いたこともないような超難問ばかり。それを、どういうワケか自分たちと同じ高校生が、問題文も読み終わらぬうちから答えている。 「なんだ、コレ?」 塩越は当時をこう振り返る。 「こんなの、どうやったら分かるんだよ……と。そこですごく強い衝撃を受けたんです」 実はこの年から同大会は、いわゆる「知の甲子園」と呼ばれる難問路線に舵を切った。 日テレの名物プロデューサーである五味一男の発案で、それまで良くも悪くも「知力・体力・時の運」と言われた日テレ系クイズ番組にお馴染みだった世界観から「運」や「バラエティ」の要素を極力、取り除いた。結果的に、そこにはスポーツと見紛うような知力におけるガチンコバトルが残っていた。 「こんなの自分たちの憧れていた『高校生クイズ』じゃない――」 突然の路線変更である。憧れの舞台のテイストがガラッと変わってしまったのだ。当然、マイナスの感情を抱いてもおかしくはなかったはずだ。だが、幸か不幸か、塩越はそうは思わなかった。 むしろこの放送を見たことで、“旭川の神童”はクイズの沼にハマっていくことになる。 「もうシンプルに『どうやってこんな問題に答えられるの? 』と。その方法を考えるだけで、『なんて面白いんだ』と思うようになって。そこから真剣にクイズというものを考えるようになったと思います」 そんな風に塩越が決意を新たにした一方で、重綱の方は急旋回した高校生クイズをみて、違った印象を抱いたという。 「こんなの解けるワケないと思って。めちゃくちゃネガティブに受け止めました(笑)」 ただ一方で、「高校生クイズで活躍してテレビに出たい」という持ち前の好奇心に裏打ちされた戦略眼からは、全く違った結論も弾き出されていた。 「こんな難問、どう考えたって、そもそも勉強へのアレルギーが少ない進学校の方が有利だと思って。だったら、少なくとも全国大会に行くだけなら、むしろウチにとっては有利なんじゃないか……と。そういう打算的な考えは浮かびました」 結論に至る道筋は両極端だった。ただ、ここで2人はともに「知の甲子園」に挑む覚悟を決めたのだった。
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