【福島原発事故11年】「善玉」対「悪玉」の構図で描かない 民間事故調の検証「当事者はまだ伝えたいことがある」 船橋洋一API理事長に聞く #知り続ける
メディアは「善玉」対「悪玉」で描こうとする部分がある
――船橋さんは元々、新聞記者であり、朝日新聞社主筆も務められました。今回、民間事故調が行った仕事は、既存のメディアでは難しいのでしょうか。今の既存のメディア・ジャーナリズムをどのように見ていますか。 検証作業は、まずはニュースとして報道されたものをできるだけ漏れなく目を通して、その中で事実認定に役立ちそうなものを押さえていく、というところから始まります。メディアは実はたくさん報道している。だからメディアがサボっているとか、そういうことは感じません。 ――ただ、メディアは民間事故調のような深い検証はできなかったのではないでしょうか。新聞、テレビの調査報道と民間事故調の検証との違いはどんな点でしょうか。 新聞で言えば、役所の司司(つかさつかさ)の細切れ報道中心の紙面の物足りなさというところですかね。ここはやっぱり記者クラブ制度と関係しているかもしれません。それぞれの省庁に張り付く形で得た情報、つまり官僚機構から上がってくる情報をベースに記事を書く。もちろん新聞の現場では、各クラブ詰めの記者が書いた原稿をデスクがリライトしたり、編集局の会議で全体的なピクチャーを見ながら記事の扱いを決めるわけで、編集過程で濾(こ)されてくるわけですが、長文記事も細切れ情報の短冊になりがちです。 もう一つ、どうしてもメディアは、これは日本だけじゃありませんが、「善玉」対「悪玉」で描こうとする部分がある。この点については、私たちは検証をするときそうならないように注意しています。初めから誰がいい、誰が悪いという構図は描かない。 私たちが重視したのは歴史的・構造的背景の分析です。それから、出来事には前史があり、そのまた前史があるという視点です。どの組織にも法律的な制度の枠があるし、特有の組織文化がある。人間関係もある。そういったさまざまな状況を踏まえ、「制約要因は何だろうか」とか「前例というが、それは誰がどういう目的でつくったのか」といったことを考える。善玉対悪玉の構図では見えない、抜け落ちてしまう部分です。 もちろん、新聞とシンクタンクは使命と役割が異なりますから、どちらがいい、どちらが悪いという話ではありません。新聞には新聞のやり方がある。だけれども、福島の原発事故のような国が亡びるかもしれないというような国家的危機を検証しようとすると、国家の統治のありようとその構造を見据えて検証する必要があります。 危機に当たって避けられない「不確実性」(uncertainty)と「緊急対応性」(contingency)という二つの要素と人間は格闘しなければなりません。いざという時に人間は一人では戦えない、組織で戦う以外ない。だから、組織のガバナンスが決定的に重要になる。そのような時、人間組織はリスクを100%正確に評価できない、だから管理も不十分にならざるを得ない。そういう前提に立って検証することが大切です。一言でいえば、当事者意識をもって検証するということです。別の言い方をすれば、実践的教訓を引き出す形で検証するということです。リアリズムの効用です。ただ、新聞がそこまでの奥行きを持った検証をするのは、字数の問題もあってなかなか難しい面もあるのかな、とは思います。