能登「集団移転」の悩ましさ 道路が寸断され、豪雨に襲われても同じ地区に住む理由 #災害に備える #知り続ける能登
「集団移転」でも郷里にとどまる理由
わずか1年の間にかつてない地震と水害を経験した浦上地区。地区の多数を占める高齢者にとって、今後の暮らしに不安が募るのは自然なことだ。冬には豪雪もあり、多い時には40~50センチの積雪がある。これだけの被害に遭えば、ふるさとを離れる判断があっても不思議ではない。 だが、浦上地区の人たちは「集団移転」といっても、金沢市に行くわけでも、輪島市の中心部に行くわけでもなかった。新たに落ち着こうとしている場所は同じ浦上地区内だった。地震や豪雨、積雪といった自然災害のリスクから遠ざかったわけではない。 そこで浮かぶのは、なぜその地に住み続けるのだろうかという問いだ。発災から1年が経とうというのに、まだ被災後の片付けも終わっていない。地の利がよいとも言えず、これだけの被害とリスクがある。それでも、「集団移転」で同じ地域を選ぶのはなぜなのだろうか。 その問いに喜田さんは住み慣れた土地を離れる考えはないと語る。 「自分の先祖がずっとそこに住んでいたし、みんな近くに山や田んぼを持っている。自分が生まれ育ったところへの未練もある。私も50代だったら、他へ移るなど考えが違ったかもしれません。でも、もう75歳です。いまから金沢に移る気力もない。山間地に住んでいる人でも、移るなら浦上の中でという人が大多数でしょう。もし金沢に行っても、やることもなければ、知り合いもいない。すぐにボケてしまいますよ。ここなら浦上地区の絆もあるし、畑作業をすることだってできる」
前出の中屋集落の玉岡さんも集団移転先を浦上地区内にした理由は、やはり昔から住み慣れた地域だからだと言う。 「隣近所が知り合いばかりだから、人間関係ができていて気さくに話ができる。(それぞれが)新たなところに行くよりも、みんなで移るほうが心強いです」 ただ、他の地区の進展には懸念も抱いている。中屋集落はスムーズに土地の取得などが進んだが、他の集落では集団移転計画が進んでいないところもあるためだ。 「移転先の土地を取得するのはそんなに簡単ではない。これが長引くほど、浦上を捨てて他に行くという人が増えるのではないか。それを心配しています」 生きていくために必要な要素は「安全」だけではない。人間関係や仕事、自分にとって落ち着く環境かどうかなど様々な要素がある。能登での集団移転は、自分たちにとって何を大事にし、どう生きていくかを最優先に動き出した。発災から1年、地域にとどまった集団移転はどう進んでいくのだろうか。 小川匡則(おがわ・まさのり) ジャーナリスト。1984年、東京都生まれ。講談社「週刊現代」記者。北海道大学農学部卒、同大学院農学院修了。政治、経済、社会問題などを中心に取材している。