能登「集団移転」の悩ましさ 道路が寸断され、豪雨に襲われても同じ地区に住む理由 #災害に備える #知り続ける能登
孤立集落が集団移転
浦上地区は人口減少と高齢化が進む地区だ。現在浦上地区に学校は存在しないが、喜田さんが子どもの頃は人口も多く、小学校では学年に70人くらいいて、2クラスもあったという。 「まだテレビも普及していない時代で、ピーク時の浦上地区の人口は2千人くらいでした。祭りは2日間、昼から休みにして地域を挙げてやっていました。この地区にこんなに人がいたのか、というくらいの人出で活気があった。それが高度経済成長で都会に労働力が引っ張られて、過疎化が進みました。いまや子どもは小中高を合わせても15人くらいです」 現在では地区全体430人の大半が高齢者で単身世帯だ。そうした地域の人たちの多くにとって、発災後の暮らしはまるで見通せなかったという。 4月、地区内の複数の場所に仮設住宅ができた。避難住民は順次移っていったが、その頃に持ち上がったのが「集団移転」の話だった。最初に移転先の土地探しに動き出したのは、被害も大きく、孤立集落となった中屋集落だった。
前出の玉岡さんは、中屋集落周辺の状況から3月には移転先の土地を探し始めていた。 まもなくして見つけたのは、浦上地区中心部の公民館にほど近い場所。所有者が亡くなっていた空き地だった。関係者に相談すると、とくに問題もなく、譲り受けられることになった。玉岡さんが探していた土地は自宅のためではなく、集団で暮らせる公営住宅のための土地だった。 「中屋集落は全部で11軒。震災後、1軒が移転し、2軒は家が残って立っていた。しかし、うちも含めた他の8軒は周囲の道路が破損し、家は全壊か半壊。地滑り地帯でもあり、とてもここには住めない。それなら8軒はみんな一緒に移転しようと話がまとまった。そこで市に対して『この土地を提供するので、ここに公営住宅の建設をお願いしたい』という話をすることにしたのです」
集団移転をまとめる難しさ
中屋集落の集団移転は移転先の土地も用意していたことから計画が進んだ。それに続いて、中屋集落以外の住民の集団移転の話が浮上する。浦上地区の区長会長である喜田さんらは8月1日、輪島市に集団移転を希望する陳情書を提出した。喜田さんが言う。