なぜ40歳の松井大輔は横浜FCからベトナム1部サイゴンFCへの移籍を決断したのか?
外国人枠は「3」と定められているが、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)、それに次ぐ大会となるAFCカップの出場権を得たクラブは、AFC加盟国の選手を1人だけ追加登録できる。4月にはFC東京と業務提携を結ぶなど、かねてから日本人選手に注目していたサイゴンは、最終的に日本代表およびヨーロッパで濃密な経験をもつ松井に白羽の矢を立てたようだ。 横浜FCでの3年間で松井は長く主戦場とし、ル・マンが1部に昇格した後にはチームの「太陽」とまで称賛されたサイドハーフだけでなく、昨シーズンの序盤は3バックの真ん中や4バックの右サイドバックでプレー。昨年5月に就任した下平隆宏監督のもとでは初体験のボランチに固定され、巧みなボールキープと的確なビルドアップを駆使しながら新たな武器に磨きをかけてきた。 移籍発表から数時間後の3日深夜に、松井は自身のインスタグラム(@matsuidaisuke_official)を更新。J1昇格を決めた昨シーズンの最終節直後に小野寺裕司会長、小学生時代から憧れの存在だったFW三浦知良、磐田時代に続いてチームメイトになったMF中村俊輔とともに収まった写真を投稿した上で、ファン・サポーターを含めた、横浜FCへ関わるすべての人々へ感謝の思いを綴っている。 「僕のサッカー人生において貴重な思い出、新しい出会いをたくさん頂きました。まだこのユニフォームを着ていたい気持ちも正直あります。ですが、僕は新しい挑戦に向かうことにします」(原文ママ) 横浜FCでの3年間で大きく広げたプレースタイルも含めて、これまでのサッカー人生で得たすべてを新天地への手土産にして旅立つ松井は4日に記者会見に臨み、ホームのニッパツ三ツ沢球技場で行われる5日のサガン鳥栖戦後に開催されるセレモニーで、ファン・サポーターへ思いの丈を語る。 (文責・藤江直人/スポーツライター)