「1・6」アメリカ議事堂襲撃事件 「白人の暴動」が意味するものとは?
ベトナム戦争と若者の騒乱
奴隷の立場から解放されたとはいえ、黒人が白人と同じ権利を与えられたわけではなかった。1964年になってようやく、J・F・ケネディ大統領が強く求めた公民権法が成立し、「私には夢がある」で始まる演説で知られるM・L・キング牧師がノーベル平和賞を受けた。しかしその二人ともリンカーン同様に暗殺される。バラク・オバマが大統領になったとき、暗殺の危惧を抱いた人も少なくなかったはずだ。 それはベトナム戦争の時代でもあった。アメリカが初めて経験するこの泥沼のような戦争には、正義と勝利が見えなかった。先端文明の兵器が上空からジャングルを焼き、逃げ惑う女子供までをも殺すという暴虐に耐えきれないアメリカの若者たちが声をあげる。この時代、文明と資本主義のエスタブリッシュメントに対する若者の反乱は世界的現象で、ヨーロッパでも日本でも騒乱が続いたが、アメリカではウッドストックのロック・フェスティバルが象徴的であり、カウンター・カルチャー(対抗文化)と呼ばれた。文明の進歩という思想に疑問符が突きつけられたのだ。 この騒乱、暴動といえば暴動だが、その原因が人種より思想にあり、しかも労働者ではなく学生が中心であったことは重要だ。騒乱を起こしたのは高等教育を受けている側で、その点では反知性のマッカーシズムとは逆現象であるが、必ずしもマルクス主義を背景にするとはいえなかった。世界的な騒乱エネルギーはベトナム戦争の終焉とともに沈静化するが、この戦争がアメリカにおける第2の時代から第3の時代への転換点であった。
第3(デジタル産業)の時代
20世紀も末に近づくと、ベトナム戦争で疲弊したアメリカがつくる工業製品は、電気製品、カメラ、時計、自動車などすべての分野で、高度経済成長を続けた日本の工業製品に敗北した。このころからラストベルト(さびついた工業地帯)が広がっていく。 こうしたアメリカ経済の危機を救ったのは、ビル・ゲイツのマイクロソフトやスティーブ・ジョブズのアップルという、一介の若者たちがガレージから立ち上げたIT企業であった。やがてインターネットを軸とする企業の登場が世界を変えていく。21世紀に入ると、まさにデジタル産業の時代となり、グローバリズムが社会を席巻し、GAFAと呼ばれる企業群がネット社会に独占的な地位を築くのだ。 「人種」や「階級」に代わって「デジタル」が新しい格差の鍵となる。いわゆる「デジタル・デバイド(情報格差)」であり、教育格差とも並行した現象であった。