<パリ五輪男子バレー>”歴代最強日本”のエース・石川祐希。恩師が明かした「これほどの選手をどう育てればいいのか」という重圧と、今も残る後悔
キャプテンをしなかったことによる後悔
――それぞれの性格が出ていますね(笑)。中大時代の石川選手のプレーに関して、「一番すごかった」と思う試合は? 大学3年の全日本インカレ、東海大との決勝です。石川が1本目からとんでもないサーブを打って、相手選手の心をへし折った。8連続ポイントだったかな……あのサーブ、あの姿を見た時に「すごいな、とんでもないな」と思いましたね。 モデナで彼の試合を初めて見た時も、僕はイタリアで試合をしていること自体に興奮しているのに、リリーフサーバーとして出てきた石川は普通にトスを上げて、普通にサーブを打って、ブレイクした。 それもとんでもないことですよね。イタリアでも動じず強くなっていく祐希を見た若い選手たちが、この世界に惹かれるのもわかった。「若い子たちこそ早く行かせてあげないと」と思ったのも含め、いろんな意味のすごさがありました。 ――石川選手は中大の4年時にキャプテンとなりました。その年はシーズン開幕から渡欧し、日本代表でもチームを離れることが多く、一時帰国で出場したインカレでは主将を離れました。当時の経験が今にもつながるターニングポイントだった、と石川選手から聞きましたが、松永さんにとってはいかがですか? 僕にとっても濃く、一生忘れられない経験です。高校でも祐希はキャプテンだったのですが、その時も今見せているようなキャプテンシーがあったか、と言われればそうではなく、プレー面で自分を強く出したり、押し切ることができるわけではなかった。 大学4年で「祐希をキャプテンに」と決めた時も、彼は4年になる段階で「イタリアに(シーズン)最初から最後まで行かせてもらえないなら、大学を辞めます」と言い切りましたから、彼が長く不在になることもわかっていた。 それでも僕のなかでは、たとえチームを離れていてもキャプテンとしてやりきってほしいという思いがありました。でも、実際は簡単ではないですよね。 全日本インカレ前に祐希が帰って来た時、キャプテンをどうするかを選手同士で話し合いました。祐希がいない間にキャプテンとしてまとめてきた選手がそのままやるか、祐希に戻すのか。 結果として別の選手がやることになり、祐希はキャプテンをしなかった。もちろん選手たちの選択ですから、僕は何も言いませんでしたが……その結果、後悔が残りました。 ――その「後悔」とは? 準決勝の筑波大戦です。2セットを先取して、3セット目もリードしていた状況で、スパイクミスや相手にブロックされるシーンが続いてタイムを取りました。僕は「次は絶対に祐希だ」と思っていたし、祐希も「自分にトスがくる」と思っていたはずです。 でも、セッターとしてはスパイクミスをした選手に決めさせたい、という思いがあったんでしょう。その選手を選択した結果、連続失点が続いてフルセットでの逆転負けを喫しました。 あの時、僕はどうして「石川に持っていけ」と言わなかったのか。最近になって、取材や自分の本で祐希が当時を振り返っているのを見て、僕と同じような後悔をしているのを知りました。 「キャプテンだったら、あの一本は呼んだ」といった思いですね。今だから言えますが、僕は大会中に一切お酒を飲まないんですけど、あの夜は飲まずにいられなくて……。朝まで飲みましたが、どれだけ飲んでも酔えなかった。今思い返しても苦い経験ですね。 ――翌日の3位決定戦勝利した後は、石川選手も松永さんも涙していました。 申し訳なくて。僕は「最後、圧倒して勝とう」と言うだけで、具体的な戦術を伝えられたわけじゃなかった。でも選手たちが、それまでやってきたことをすべて発揮している姿を見たら、「あぁ、この姿を決勝で見たかった。決勝のコートで全力を出させてあげたかった」という思いが込み上げてきてしまって。 試合が終わった時にウルっときたんですが、それを見た祐希が泣いているのを見て、僕も泣きました。 祐希は「理生さんが泣いていたから泣いた」と言っていますが、逆ですよ。最初に泣いたのは祐希です(笑)。でも本当に、負けたことよりも、貫くことができない自分の弱さ、未熟さ、技量不足を感じさせられました。でも振り返れば、それが今につながっている。間違いなく、(髙橋)藍にはつながっていきましたね。 取材・文/田中夕子 写真/Shutterstock
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