<パリ五輪男子バレー>”歴代最強日本”のエース・石川祐希。恩師が明かした「これほどの選手をどう育てればいいのか」という重圧と、今も残る後悔
バレーボールをしている時と普段は別人
――入学してからの石川選手やどんな学生、どんな選手でしたか? 物怖じしない、マイペース(笑)。さらに言うなら、オンとオフが面白いぐらい違う、わかりやすい人間ですね。たとえばスパイク練習をしている時も、自分が打ったボールを拾いに行って、またスパイクを打つ列に並ぶのですが、石川はボールを拾った時に近くにバスケットボールのゴールがあると、シュートするんですよ(笑)。 やっちゃいけないとは言わないですが、高校と比べて大学は上下関係がより厳しいので、下級生でそんなことをやる選手はいないのに、彼は普通にやる(笑)。気持ちよくスパイクが打てた、バスケのゴールがある、シュートしちゃえ、という感覚なんです。 それぐらい、高揚している時の動きは何を考えているかわからないけれど、テンションが低い時はどこまででも低い。しかも負けず嫌いなので、他の選手たちがけん玉で遊んでいるところに「自分もできる」と最後に入ってきて、成功させるとドヤ顔をしたり(笑)。 今の祐希はものすごく大人で、リーダーシップに溢れた選手に見えるかもしれませんが、子どもっぽいところも多々ある。それも彼の魅力ですね。 ――関田選手に関しては「頑固」とおっしゃっていましたが、石川選手はどうですか? “THE武士道”が関田で、石川のほうがまだ柔軟かな。どちらも個性は強いけれど、やることはやる。手を抜くことがない。そういう共通点はありました。 ――「日本代表に入ってほしい」という思いも同じでしたか? 大学に入った時点で比べるならば、関田以上に「早い段階で日本代表へ」と思っていたのは確かです。大学で練習し始めて、春季リーグが始まる段階で僕は「これほどの選手を大学4年間でどう育てればいいのか」と突きつけられた。それくらい、彼のレベルは高かったです。 中央大学という枠組みのなかだけで刺激を与え続けていても、彼のレベルになると「毎日、楽しいとは思わせられないだろう」と。 なんとか海外に行かせることはできないか、と考えていた時に、彼の持つ運が素晴らしい縁を引き寄せて、(セリエAの)モデナへ行く道が拓かれた。結果的にそこからの成長につながっていきましたから、イタリアへ行く選択肢があったことは本当によかった。 すごい世界で戦っていながら、根っこの部分は変わらず、バレーボールをしている時と普段は別人のように違う。関田とはまた違う意味で、祐希も本当に面白い人間です(笑)。 ――確かにギアが入った試合はすさまじいですが、入らない時との落差は大きいようにも。 見てすぐわかりますからね(笑)。大学生の頃からバレーボールをしている時とそうでない時の落差も大きくて、食事に対しても「あれが食べたい」という欲がなくて「何食べる?」と聞いても「何でもいいです」と(笑)。こちらはできる限りおいしいものを食べさせたいと思うのですが、彼にとっては興味がなかったんでしょう。 今思い出しましたが、関田が4年生で最後の試合を終えた後、4年生たちと慰労会をしようとなって「何が食べたい?」と聞いたら「肉がいい」と。焼肉でもいいけれど、学生だとなかなか行かないだろうと、僕も奮発してシュラスコを食べに連れて行ったら……「僕、レアは食えないっす」って(笑)。そういうワガママさは祐希には一切ないですね(笑)。
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