ドストエフスキーが泥沼に突き落とされる? ウクライナ侵攻でロシアが失う大切なもの
人類としての曖昧な約束
選挙によって大統領が選ばれるとはいえ、ロシア政治の実態はプーチンの長期独裁体制である。政敵に対する仕打ちは、スターリンを彷彿とさせ、ウクライナ侵攻で伝えられるロシア兵(ウクライナ人兵、囚人兵を含む)の扱いも非人道的だ。歴史の検証を経て、ナチズムにも似た「プーチニズム」(プーチンのあるいはプーチンを代表とするロシアの戦争思想)という言葉が生まれるかもしれない。すなわちこれは「汚い戦争」であろう。 アレクシエービッチは戦争を「人間から獣がはい出す」と表現した。いい表現だ。 もともと人間はライオンや狼と同じ哺乳類の一種であり、獣に近いのだ。その獣性を抑えるのは知性である。彼女がいいたいことは、今のロシア軍はその知性に蓋をされているということであろう。 しかし一方で、現代の戦争は、ミサイル、ドローン、サイバー戦争など、高度な知性の産物が駆使されている。むしろ人間の知性の中にこそ邪悪が潜むというべきかもしれない。獣の行為は本能によるのであり、獲物を襲うのは、すべての動物に共通する自然の営為である。 現代の問題は、人間が知性を失うことではなく、むしろその知性が暴走するというべきではないか。今われわれに必要なのは、ロシア軍は知性を失った獣であると主張することではなく、人間の知性の暴走をコントロールする国際的な「約束」を形成することではないか。 残念ながら現在の国際社会には確たる法というものがなく、力によって物事を解決しようとする傾向がある。政治思想もまた宗教や道徳や倫理といったものも、国によって価値観の違いがある。しかしそれでも、人間としての、国家としての、ぼんやりした約束事が形成されつつあるような気がするし、そうでなくてはならない。それは地球に生きる動物種のひとつである「人類としての曖昧な約束」ではないだろうか。 くりかえすが、戦争には、人的損失、領土的損失、経済的損失があり、加えて文化的損失がある。