ドストエフスキーが泥沼に突き落とされる? ウクライナ侵攻でロシアが失う大切なもの
「勝てば官軍」の時代ではない
「勝てば官軍」という言葉がある。 明治維新では、薩長連合側が幕府側に勝って、本来なら将軍家に背いた賊軍であるはずの側が官軍となった。関ヶ原の合戦では、徳川方が、秀頼という豊臣政権の後継者を立てた側に勝って、天下を取り将軍家となった。承久の乱では、鎌倉の北条方が京都の上皇方に勝って、武家政権を盤石とした。近代以前の戦いでは、ヨーロッパでも、中国でも、勝てば官軍であった。為政者が代わっても、庶民は新しい権力のもとで生きるのであって、ともかく安定することが望ましかったのだ。 しかし近代国家というものが確立されていくに従って、戦争の様子が異なってくる。戦っているのはどちらも政府軍すなわち官軍であり、兵は職業的な軍人や武士ではなく動員された市民=国民で構成されている。こういった近代戦争では、民族や宗教や思想が異なっていることが多く、そういった個別の価値観によらない事実、すなわち一方的に国境を越えて隣国に軍を向けることや、その戦い方が非人道的であることが、国際的な非難を浴びることになる。 第二次世界大戦において、ナチズムが批判されるのは、負けたからというより、ドイツ軍の有無をいわさぬ隣国への侵略と、ホロコースト(ユダヤ人虐殺)の非人道性による。独ソ戦ではどちらも大量の死者を出し、勝ったはずのソビエト側も、スターリン政権がきわめて強権的(非人道的)なものであったことが暴露された。 アメリカ映画を見ていると、ベトナム戦争帰還兵の精神的後遺症を扱ったものが多い。米軍は熱帯雨林の葉陰に隠れた北ベトナム兵のゲリラ的な攻撃に手を焼き、そのジャングルを消滅させる大量の枯葉剤をまいた。その後遺症は2世、3世にも及び今も多くのベトナム人が苦しんでいる。加えてナパーム弾、クラスター爆弾などを使う非人道的な戦術は、アメリカ兵の精神をも破壊したのだ。そしてその影響は時を経てアメリカ文化全体に染み込んだのではないか。よくいわれる「分断」に、それが現れているような気がする。 共産主義ゲリラに対するアルゼンチン政府軍の弾圧は「汚い戦争」(1976~1983)と呼ばれたが、戦争にも、祖国を防衛するために最小限必要なものと、理由なく他国を侵略したり、非戦闘員をも虐殺したりするものがあるのだ。後者を「汚い戦争」と呼べば、それを仕掛けた側は、その勝敗にかかわらず、他者を破壊した分だけ自分も破壊される結果となる。もちろん文化的精神的な破壊である。 もはや「勝てば官軍」の時代ではない。