ドストエフスキーが泥沼に突き落とされる? ウクライナ侵攻でロシアが失う大切なもの
ドストエフスキーを泥沼に
ロシア文化は革命以前と革命後に分けて考えられるだろう。 革命以前のドストエフスキーやチャイコフスキーといったものは、ヨーロッパ王政時代の文化に似て、文字の読める、ある種特別な階級の文化であった。 革命後しばらくは、労働者や農民など文字の読めない階級にも革命思想を伝えなくてはならず、映画やポスターというヴィジュアルな文化が発達し、世界の多くの国の革命勢力に影響を及ぼした。僕の専門である建築やデザインの分野でも、ロシア・アヴァンギャルドは大きなインパクトを与えたのだ。その後はソビエト型社会主義の優位を示す文化を振興しようと、バレエや体操など人体の美と機能を極限に高めようとするものと、頭脳に関してはチェスなどに力が入れられた。堕落したブルジョアに対するプロレタリアの美しさと強さを示そうとするものだろう。 しかし、時代が変わっても評価が高いのは、そういった政治思想によって振興されたものよりも、革命前の古典的な文化であるようだ。 ロシアを含めたヨーロッパの歴史において、たとえ政治経済は分かれていても、宗教、学術、芸術などの文化は、強い相互関係を有していた(共通語としてのラテン語や古代ギリシャ語があった)。そしてイタリアルネサンスは近世ヨーロッパ文化のもととなり、フランスでは美術が、ドイツ語圏では音楽が、ロシアでは文学が発達したとよくいわれる。あくまで僕個人の感覚的な例示ではあるが、イタリアならミケランジェロ、イギリスならシェイクスピア、フランスならモネなどの印象派、ドイツならバッハ、ロシアならドストエフスキーといった普遍的な輝きを放つ文化の至宝というべきものがあるのだ。 そして冒頭にあげたウクライナの若者は、これまで親しんできたはずのロシア文化の至宝を頭の中から消去するという。僕自身、ドストエフスキーのファンであるが、この戦争下では、なかなか読み返す気になれない。つまり今回のような戦争のあり方は、一国一民族が営々と築き上げてきた文化的価値を泥沼に突き落とすことになるのだ。ドストエフスキーそのものの価値が下がるわけではないだろうが、その作品によって支えられていたロシア文化全体が嫌悪されるのである。