メディアレップ「CCI」「DAC」の誕生とインターネット広告市場の幕開け[第2部 - 第9話]
「インターネット広告創世記~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~」シリーズ第9話。前回の記事はこちらです。 杓谷 当時の集英社の『MORE』や、設立して数年のインプレスが発行する『iNTERNET magazine』を見ると、雑誌全体の30~40%くらいを広告が占めていてとても分厚いですね。 ここまでは、広告を計画通りに出稿する難しさを佐藤さん、加藤さんそれぞれの視点から語っていただきました。 佐藤 1996年、大手総合広告代理店が主導して、インターネット広告を専門に取り扱う「メディアレップ」が2社設立されました。1社目は電通が主体となって設立した「株式会社サイバー・コミュニケーションズ」。もう1社は、デジタルガレージの呼び掛けに応じる形で、博報堂を中心に、旭通信社などの大手総合代理店とデジタルガレージが設立した「デジタル・アドバタイジング・コンソーシアム」です。 加藤 僕はこの2社が設立された当時の広告代理店向けの説明会に参加していて、当時のことをよく覚えています。
インターネット広告が関わる最初のサービス「ハイパーネット」
加藤:日本で一番最初にインターネット広告が関わったサービスは、おそらく「ハイパーネット」システムだと思います。板倉雄一郎さん、夏野剛さん(現KADOKAWA代表取締役)が始めたサービスで、ユーザーが独自のソフト「Hot Cafe」を通じて広告を受信することで、無料もしくは低価格でインターネットを利用できるというものです。
当時、アスキー(ASCII)のほとんどの雑誌にはインターネット接続ソフトが入ったCD-ROMが付いていました。1996年以降、ハイパーネットはそれらのCD-ROMにネット接続ができるソフトウェア『アスキーインターネットフリーウェイ』(Hot Cafe同梱)をバンドルしていました。 ハイパーネットが広告の営業を始めると、当時インターネットに力を入れていた日広と、電通のインターネットビジネス局が手を挙げました。それが1996年の2月のことです。その年の春には全力で営業していたことをよく覚えています。 杓谷:ハイパーネットの創業者である板倉雄一郎さんの著書『社長失格 僕の会社がつぶれた理由』には、下記のような一節がありました。 ┌────────── 九六年度のインターネット広告市場レポートを発表した電通からの非公式の情報では、この年およそ十六億円だった同市場のシェアナンバーワンは、なんとハイパーネットシステムだったのである。――『社長失格 僕の会社がつぶれた理由』(著者:板倉雄一郎 出版社:日経BP社) └────────── Yahoo! JAPAN、ハイパーネットともに当時の売上は公開されていないため、真偽のほどはわかりません。ただ、この時点でインターネット広告市場において、ハイパーネットの存在が大きかったことは確かだと言えますね。 ・ 社長失格