「商店街のアイドル」は"小さな漫才師"だった…0円で小学生に漫才を教える「大阪のおっちゃん」(54)の正体
そこで「最小ユニットの漫才ならいけるんちゃうか?」と思い、新喜劇から漫才にシフト。これが功を奏し、子どもたちは目を輝かせながら取り組むようになる。 子どもたちの姿を見て、小川さんは「みんなが練習したものを披露する場所を作ろう」と思い立つ。閉店した100坪ほどの古書店の一角を借り、そこにビールケースを裏返してベニヤ板を貼って簡易的な舞台を作った。古い建物のためむき出しになった土壁にはブルーシートを被せ、手作り感満載のお笑いライブ会場ができ上がった。 ■舞台に立った子どもたちに起きた変化 すると、「小川さんが子どもたちのためにお笑いの舞台をやっている」という話を聞きつけた落語家の桂福丸さん、そして駆け出しだったミルクボーイの内海崇さんと駒場孝さんがたびたび手伝いに来てくれるようになる。 そこで月に1度、その場所で、彼らの前座として子どもたちを舞台に立たせることに。落語に挑戦する子やコントをする子、プロのネタを完コピして披露する子。どれも粗削りだったが、観に来た近所の人たちから大いにウケた。子どもたちの表情には、「人を笑かすことが楽しい!」「絶対にウケてみせる!」というエネルギーが満ち溢れていた。 小川さんのボランティア仲間として15年の付き合いがある北村純(きたむらじゅん)さんは、当時のことをこのように語る。 「私はお笑いのことも、子どものこともよくわからなかったので、小川さんから『子どもにお笑いを教える』って聞いたとき、半信半疑でした。でも、お笑いの力はすごいです。目が見えない子や、字が書けない子、学校に通えない子も楽しそうに取り組んで、参加者全員を明るくしてくれる。こんないいもの、他にないなって思います」 道場に通う子どもの親から「引っ込み思案だった子が、漫才を始めてから学校でも自分の意見を言えるようになったんです!」と言われたことがあった。なかには、学校でいじめられていた子が、テレビ番組で漫才に取り組む姿を取り上げられ、いじめがなくなり、学校に通えるようになったという事例もあった。小川さんが信じた心理学者カール・ロジャーズの理論を、子どもたちが実現していったのである。 筆者が「このお笑い道場を始めて、良かったことはありますか?」と聞くと、小川さんは少し考えてからこう答えた。 「傍から見たらちっちゃな事かもしれないですけど、子どもたちが自分たちで作り上げてきたものを1つ形にして、それを発表することで泣いたり、笑ったりするわけじゃないですか。結果が良かったら笑うし、あかんかったら泣くし。その時間を一緒に体験できるっていうのが、一番良かったです」 ■42歳で芸人になる ふと、小川さんに「もともとお笑いを教える経験があったんですか?」と聞くと、彼は首を横に振った。 「まったくなかったです。ただ、テレビでしょっちゅう漫才を観てましたし、中学の友達に芸人の兵動大樹がいたり、高校の同級生に東京で芸人してるハローケイスケがいたので、僕にもできるだろうって軽く考えてました(笑)」