「プーチン圧勝」や「ほぼトラ」は何を意味する? 崩れ始めた「文明が進歩に向かっているという前提」
人類は時とともに都市化するがそこには波がある
「人類は不可逆的に加速度的に都市化する」というのが、建築様式の研究からくる僕の基本認識である。 不可逆的とはいえ、常態的に直線的に都市化が進むわけではない。都市には発展する時代と衰退する時代がある。都市化には大中小の波があるのだ。前にも書いたことだが、都市化の小波は景気循環的な、10~30年ほどの波である。都市化の中波は政治転換的な、80~100年ほどの波である。都市化の大波は文明史的な、500~1000年ほどの波である。もちろんこの数字は目安であって周期というようなものではない。 今われわれは、バブル崩壊後の経済停滞(これは単なる景気循環ではなく、日本の社会変化による中波というべきだろう)と近年の円安株高の経済的「小波」の上にあり、また戦後民主主義という政治体制の「中波」の上に、さらに16世紀以降の西欧文明と19世紀以降の近代文明の「大波」の上にある。そして文明史的な波はロングスパンなので、これまで僕は、この波の変化を論じる機会はこないだろうと考えていた。しかし最近、異常気象の問題や世界の政治体制の右傾化などによって、現代が、都市化の大波が崩れる、文明の暗転期にあるように思えてきたのだ。
世界システムと産業革命の普遍性
16世紀、西欧の特に海洋国が経済の「世界システム」(アメリカの経済史家イマニュエル・ウォーラーステインの言葉)をつくりだして以来、人類の歴史とその思想は「普遍性」に向かってきた。 マゼランやコロンブスによる「外洋航海」は、人間(特に西欧人)が生きる場に「世界」という空間的普遍性の概念を生み出した。ルターやカルバンによる「宗教改革」は、教会に独占されていた神の国を個人の内面に発見しようとして、精神的普遍性に向かった。ガリレイやニュートンによる「科学革命」は、事実と真理の認識基準を論理性と実証性に求めようとして、知的普遍性を志向した。 19世紀に進行した「産業革命」は、世界の人々を、量産される普遍的な商品(=製品)の力で圧倒した。その「普遍的商品力」を最大限発揮させるシステムが「資本主義」であり、それが拡大主義の国家体制に組み込まれたときに帝国主義が生まれ、またその資本主義の矛盾を乗り越えるシステムとしての社会主義が模索された。 16世紀以降の西欧文明から19世紀以降の近代文明への変化は、古代地中海世界のギリシャ文明からローマ文明への変化に似て、精神的な普遍性から物質的な普遍性への変化を感じさせる。僕はこのギリシャ・ローマ文明から西欧・近代文明へのつながりを人類の都市化のメインストリーム(主流)であると考えてきた。 そして今、その西欧・近代文明の中核にあった普遍性の崩れが感じられるのだ。二つの世界大戦はその前兆ともとらえられる。