「あなたが言ってることは現実的に無理」と言われた教育学者・苫野一徳さんの構想は、なぜいま「公教育の構造転換」を引き起こしているのか
現代新書創刊60周年記念インタビューシリーズ「私と現代新書」5回目は、『教育の力』、『愛』(いずれも現代新書)の著者である哲学者・苫野一徳さん(熊本大学准教授)にお話を伺います。 【続き】「スーパーサイヤ人の闘い」といわれた研究会…苫野一徳さんが受けた「教育」 『愛』についてお聞きした前回(「“心を燃やす”哲学者・苫野一徳さんが「愛の本質」を20年考え続けるきっかけになった「人類愛の啓示」とは何だったのか」)に続き、今回は『教育の力』についてお聞きします。 苫野さんが「よい教育とは何か」を研究する背景となった苫野さん自身の学校生活とはどんなものだったのか。そして、苫野さんの構想「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」は、当初多くの学校関係者から「現実化は無理」と言われたにもかかわらず、なぜいま全国各地で「学び/公教育の構造転換」を引き起こしているのか。(以下、敬称略)【#2/全3回】
学校に疑問しかなかった小学校時代
―――ご著書『教育の力』(2014年刊)についてお話を伺います。まず、なぜ教育学を研究しようと決めたのか、そのきっかけについてお聞かせください。 苫野一徳(以下、苫野):小学生の頃から、「学校って何のためにあるんだろう」「何で学校に行かなきゃいけないんだろう」「教育って何だろう」と考えていたことが背景にあります。 先ほど(前回記事(「“心を燃やす”哲学者・苫野一徳さんが「愛の本質」を20年間考え続けるきっかけになった「人類愛の啓示」とは何だったのか」)参照)少しお話しましたが、小学生の頃の私は、勝手に孤独を感じている少年でした。「なぜ自分は生きているんだろう」といった哲学的なことをいつも考えていました。でも、それを周りの友だちに話しても、何言ってるんだおまえは、といった反応で全然理解してもらえない。話が全然合わない。小学生時代の私のバイブルは手塚治虫の『火の鳥』と『ブッダ』だったんですけど、周りはほとんど誰も読んでませんでした。 ――周りの同級生はどんなマンガを読んでいたんですか。 苫野:その頃は『ドラゴンボール』が流行っていましたね。でも、私は、みんなが話題にしているマンガやアニメにあまり興味が持てなくて、ひたすら手塚治虫を読んでいました。最初は「誰にも理解されない」と悲しんでいたのですが、だんだん私も意固地になって、「何もわかってないお前たちに理解されてたまるか!」と思いながら、手塚治虫と文学の世界にどんどん没頭していきました。 なので、学校にはなじめませんでした。同質性の高い空間に押し込められているかんじで。上の世代だと話が合う人がいるのに、なんで理解してもらえない空間に閉じ込められなきゃいけないんだ、と。 当時は、勉強もすごく苦手でした。やる意味を見いだせなかったからです。自分は生きる意味を探求しているのに、学校でやらされている勉強に何の意味があるんだ?自分が探求しようとしていることのほうがずっと価値があるじゃないか、と。 だから、学校にはずっと疑問を抱えていました。でも、ありがたいことに、やがて恩師と呼べるような先生たちと出会うことができました。子どものことを尊重し、気にかけて、大事にしてくれる。自分のことをこんなに深く受け入れてくれる先生がいるんだ、と、感動しました。その先生たちとの出会いがなかったら、学校には行かなくなっていたかもしれません。