「あなたが言ってることは現実的に無理」と言われた教育学者・苫野一徳さんの構想は、なぜいま「公教育の構造転換」を引き起こしているのか
学校改革に乗り出してブーイングを浴びた高校時代
苫野:高校は、ものすごく自由な学校に入りました。生徒の自治によってつくられている部分が多い高校で、耳にどれだけ穴があいていても、髪の色が何色でもかまわないという学校でした。高校で、私は生徒会長になるんです。 ――学校に疑問を抱いていた苫野さんが、またなぜ? 苫野:問題意識があったからこそ、なんとかしたいという思いもずっと強かったんだと思います。当時の私には、せっかくの自由を生徒が活かせていないというか、自由に甘えているように見えました。そこで、「お前ら自由に甘えんじゃない!もっと自由を活かすべきだ!そんな学校に変えようじゃないか!」と、学校改革を唱えて生徒会長になりました。 ――小学校時代は自由を求めていたけれど、自由すぎるのもこれまた許せなかったのでしょうか。 苫野:というより、そもそも「自由」とはなんだろう、われわれはどうすれば「自由」に生きることができるんだろう、と考えたんだと思います。これもまた、自分の哲学的原体験の一つです。その20年後に、『「自由」はいかに可能か――社会構想のための哲学』(NHKブックス)という本を出すんですが、この本で、高校時代の問いに答え抜くことができたと思っています。ただ、当時はみんなから大ブーイングを浴びまして。「苫野追放!」という声まであがり……。 実際、その頃の私は、ヘーゲルの言う「徳の騎士」でした。自分の正義や信念をふりかざして周りを従わせようとする人です。その結果、私はだんだんひとりぼっちになっていきました。 そんな中、自分が独りよがりになっていることに、ある頃から気がつくようになったんですね。それからは、生徒会の仲間はもちろん、多くの生徒や先生と、学校について本気で対話を重ねるようになりました。そうすると、だんだんと相互了解が広がって、仲間が生まれていったのです。 そもそも「自由とは何か」「学校って何のためにあるのか」ということを、友人や先生方とたくさん議論しました。この経験がきっかけで、大学では、学校は何のためにあるのか、よい教育とは何なのかについて考えたいと思い、教育学部に進学したのです。