「私の取材が差別を生むのか」偏見の先に見えたデカセギ外国人2世の生き方
努力しないと生き残れない
「ブラジル人として、ポルトガル語の話せる子になって欲しい」という両親の希望で、ウェズレイさんは小学校時代も放課後に、ポルトガル教室に通っていた。高校進学について迷っていたとき、日本語とポルトガル語が両方学べるブラジル人学校があると聞き、両親の勧めもあってブラジル人学校に進んだ。 小中学校時代を振り返り「ここら辺の学校に通ってると、日系ブラジル人の姿があたりまえなので、自分が外国人だって意識したことは無かったけど、浜松を離れると町中で英語で話しかけられることがあり、やっぱり外国人に見えるんだなって気づかされますね」とウェズレイさんは話す。 「小中学校で、同級生からの差別やいじめは経験しなかった」というウェズレイさんだが、「中学に入って、クラスの大勢でふざけてたら、先生から日系ブラジル人の生徒だけ叩かれたり、ポルトガル語を話していたら突然キレられたり、どうして日系ブラジル人だけ……って感じたことはありましたね」と声を潜める。 わたしは明るい話題にしようと、将来の夢について聞く。 「えーっと、なれるんだったら、体育の先生になりです!」と、目を輝かせるウェズレイさんだが、具体的なプランについて聞くと「浜松だと静岡大学とかそういう所に行かないと、体育教師の資格はとれないんですよ。どうかなぁ、ぼくはちょっと難しいかもしれません」と、うつむき加減に答える。 しばらく考えたあと「だもんで、日本で体育の先生やるなら、今行ってるブラジル人学校終わってから、大検とか取って大学に行くか、あとはブラジルで体育の先生やるか、どっちかですね」 「他には?」と聞くと、「日本に居るなら、決まった1つの仕事で働きたいんですよ。自分の周りのブラジル人の先輩とかは、だいたいみんな3ヶ月とかの短い工場の仕事を探して、終わったら次また探してって転々とやってるんですよ。でも、仕事が無い期間もあるし、景気が悪くなったら帰国しないといけないじゃないですか。だもんで、自分はサラリーマンでも良いし、エンジニアでも良いし、なにか1箇所でちゃんと長く働きたいなと思うんですよ」と話してくれた。 「具体的には、なにか考えているの?」と尋ねると、「浜松に、ポルトガル語で受講できる専門学校があったもんで、パソコンの修理の資格を取ったんですよ」という。「次は、日本語でもおんなじ様な資格を勉強して、日本でもブラジルでもどっちに住んでも、そういう資格を使って、専門的な仕事に就きたい」と教えてくれた。