「私の取材が差別を生むのか」偏見の先に見えたデカセギ外国人2世の生き方
しばらく彼らのゲームを観戦したわたしは、体育館を離れることにした。駐車場で缶コーヒーを飲んで一息ついていると、ウェズレイさんが自転車でわたしの前を横切っていく。思わず「どこにいくの?」と声を掛けると「いまからバイトなんです。この近くのコンビニで5時から!」という。見に行って良いかと聞くと「もちろん!」と答えてくれたので、彼のバイト先について行くことにした。 彼の職場は、片側1車線のバス通りに面したコンビニエンスストアだった。「総合病院とか自動車メーカーの工場がすぐ近くにあるし、結構人がきて忙しいんですよ」という。 バイト中のウェズレイさんは、体育館の様子とはうってかわって真面目に見えた。 たばこを買いに来た日本人客に、素早く商品と釣り銭を渡し、次のブラジル人客には、ポルトガル語でなにかを説明しながら、電子レンジで弁当を温めている。 去り際に、ウェズレイさんに向かって「日本でいい仕事に就けると良いね」と声を掛けると、殊勝な声で「ありがとうございます」と頭を下げる。わたしが右手を差し出すと、「えーっと、将来の仕事とか、いろいろあきらめずにがんばります!」といいながら、しっかりと握り返してくれた。 彼の働くコンビニを背に歩き出しながら、自分の足取りが心なしか軽やかなことに気づく。本当に、気持ちの良い明るい青年だった。がんばって欲しいという気持ちが心の底から沸き起こってきた。そしてふと、自分がもともと持っていた取材テーマが頭をよぎる。日本人となじまず、社会に背を向け、鋭い眼光で周囲を威嚇していた、日系ブラジル人暴走族たちは、浜松のどこに居るのだろうか。
ブラジル人がブラジル人を助ける
私はさらに日系ブラジル人の若者を探すため、浜松の隣の磐田市にある、東新町団地を訪れることにした。ここは昭和53年に完成した公団住宅で、エレベーターのない急な階段を上っていくスタイルの、昔ながらの団地の風景が広がっていた。周囲には田畑も多く残っており、耳を澄ませると車の騒音に混じって、蛙の鳴き声が聞こえてくる。 団地の外れにある、多文化交流センターに行ってみることにした。日系ブラジル人の中学生が集まると聞いたからだ。毎週水曜日と金曜日は、センターの2階にある学習室で、「無料の学習支援」が行われている。磐田市が運営するこの施設では、職員と共に、地元の塾講師や教師経験者らがボランティアとして参加し、日系ブラジル人を中心とした外国人定住者の生徒に、学校の宿題の手伝いや、受験の為の補習授業をおこなっている。 夜7時。外には、横殴りの激しい雨が降っており、時折稲光が明滅した。そこへ、近隣の中学生が続々とやって来る。 傘を持っていないのだろうか。カバンと髪をびっしょり濡らした一人の生徒が駆け込んできた。地元の神明中学校に通う中学一年生の女子生徒だ。彼女はリュックから、ノート取り出し、空いている机に座ると、国語の授業で出されたという宿題のページを開き、自習をはじめた。